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VOL.51/Jan,2001

INDEX
  1. ●特 集●新春恒例 団長の独り言
  2. ■新春インタビュー■21世紀の合唱を語る
  3. 雨森文也先生の(^_^) もうひとつのかお (ノ_.、)
  4. ●REPORT●わたしのコンサート評
    その1 ■全日本合唱コンクール全国大会
    その2 ■同志社学生混声合唱団C.C.D.定期演奏会
    その3 ■第96回同志社グリークラブ定期演奏会
  5.  

  6. ぬかやゆきひろの
    頭じゃなくてからだで歌う発声法
  7. Nietzscheたいらちゃんの
    <ビデオを観よう!>

  1. ●How do you do?●
  2. 鷲崎 春の演奏会情報
    −心の財産を見つけてみよう−
  3. ●木寺洋介の合唱連盟便り●
  4. ●うずからのお知らせ●練習予定表
  5. ●よどこんの各マネジャー紹介●
  6. ●編集後記●



よどこんプラザ1月号
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   ●特 集● ・新春恒例団長の独り言
 ・新春インタビュー21世紀を語る
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●特 集●

●新春恒例●団長の独り言
「最近ちょっと浮気

 年初から個人的な話で申し訳ないが、ここ7年余り、仕事で毎週東京出張を している。
 5年ほどは週に1泊2日だったが3年前に週に2泊になり、昨年秋からは遂 に週に3泊になってしまった。週に3泊するということは、土日を含めても週 の半分以上を東京および新幹線の社内で過ごしていることになる。出張といっ ても東京に自分の机があるわけだから、毎回違う土地に行く出張と比べると随 分と気楽ではあるが、それでも東京にいる間はプライベートな時間を過ごすこ とは難しく、ずっと仕事をしている感じで精神的なストレスも結構辛い。
 そこで始めたのが、昔、合唱団MIWOを率いて宝塚国際室内合唱コンクー ルに出てこられた時、楽屋でお見かけしたことのある雨森先生が振っておられ る混声合唱団(CANTUS ANIMAE)への参加。誰が振っているかではなく、単に 水曜日に練習している合唱団を探していて、たまたまインターネットで見つけ て見学しに行ったのがこの合唱団。
 平日の19時練習開始というのにメンバーのほとんど(といっても約20名 )が集まっているのにも驚いたが、雨森先生の練習の熱いこと熱いこと!その 熱い練習をほぼ毎週体験できるという。なにしろ計画性がなく、欲求のままに 行動してしまう性格の私のこと、その場で入団を決めてしまったのが一昨年の 10月、ちょうど、よどこんの演奏会に客演をお願いするために松下先生に東 京でお会いした頃だった。
 第9回演奏会から3年連続の本山先生のあと、3年連続違う指揮者、できれ ば関西では振っていないプロの指揮者に客演指揮をお願いしたいという伊東恵 司構想の2年目にも目処がついたと内心ほくそえんだのも事実。

 今、水曜日は少しでも早く仕事に一段落を付けて、CANTUS ANIMAEの練習に 向っているが、現在練習しているのは邦人作品の難曲ぞろい(唯一ホッとでき るのが武満の「うた」)。しかもBsは人数不足の上、みんな仕事が忙しく、 全員そろうことは皆無で、半数が集まるのも終了ギリギリという状況では、練 習に向う足も重く、長い出張のストレスを解消することに役立っているかどう かは甚だ疑問の状況。

 東京で歌っていることは、なにやら浮気の気配がないわけでもないが、出張 がなくなればすぐにでも続けられなくなるし(うーむ、益々!)、極めて刺激 的な体験でもあり(うむうむ)、今しばらくは、この微妙な快感を味わいつつ, よどこんへもなにがしかの還元をしていければと思っている。まず、第一弾が 今年の客演指揮のスムーズな?交渉成果だな、といささか弁解がましく思って いる今日この頃である。

(Bass 林 和之)    



●新春インタビュー● 「21世紀の合唱を語る」
〜よどこんの指揮者へのインタビュー〜

皆様、明けましておめでとうございます。
今年は21世紀の初めの年、今年もチャレンジの年にしましょう。
ぜひ「良い音楽を作ること」「魅力的な合唱団に成長すること」を目標に一人 一人が、そして合唱団全体が積極的に活動していきたいものです。
さて今月号のライナーノーツは「新春インタビュー」へと振り替えさせていた だきました。しゃべりだすとついとりとめが無くなってしまいますね。また練 習の中でメッセージを込めていきたいと思っております。
今年も「情感溢れる」よどこんの音楽を目指しましょう!

淀川混声合唱団指揮者:伊東恵司    

皆さま、あけましておめでとうございます。雑用係の矢口です。今回は21世 紀も最初の年ということで、伊東氏のインタビュー記事を書くことになってし まいました。伊東氏の性格上(?)話が飛び、内容が豊富になってしまい、上 手く纏めることができなかったことを先にお詫びします。

:伊東さん。今日はよろしくお願いいたします。
:はい。(なげやりな返答はいつも通り)
:今日のインタビューでは「2001年のよどこん」それから「2001年 の伊東氏の動き」を焦点に絞ってお話を伺いたいと思います。どうやら伊東さ ん個人も今年は忙しそうですね。お正月は休養できましたか?
:子供と遊んでましたが、これがまた疲れてしまいますよね。でもおかげさ までウルトラマンシリーズの怪獣の名前はほとんど分かるようになりました。 私はティガとセブンをシリーズ史上の傑作と確認しております…。すみません、 雑談をしてる時間ないのですよね。ちなみに、初夢は仕事をしている夢とセカ ンドテノールの音程を直している夢でしたので、ちょっとうんざりしています。
:それはそれは…。何はともあれ、「よどこん」では今年はあの雨森文也先 生を客演指揮者としてお招きした訳ですが。
:そうです。私が「よどこん」を指揮しだしてから11年が過ぎますが、当 初から出来るだけ長い目で物事を考えていきたいということから、3年毎にゆ るやかな目標を決めて活動してきております。94−96はミュージカル、オ ペラのオリジナルアレンジのステージを持ち「よどこん」の輪を広げていくこ とに専念いたしました。97−99は本山先生に客演指揮を依頼し「よどこん 」音楽の骨格を固めていくことを目指しました。そして昨年からの3か年では、 主に関西圏以外からの、しかも合唱界の最前線におられる先生に客演指揮をお 願いすることによって、合唱に対する新しい考え方や方法論を吸収することを 目指しています。このことは、たんに「よどこん」の内側だけにとどまるもの ではなく、わりと古いタイプの合唱観が支配的な関西の地において他の合唱団 や合唱界を巻き込みながらの揺さ振りや方向性の模索を目指したものでもあり ます。
:「よどこん」レベルの合唱団のチャレンジが重要ってことをずっと言って おられましたもんね。そのあたりのことは「音楽と団に対する積極性」という 「よどこん」の絶対目標にもかぶってきますね。
:そう、ぜひ「よどこん」を関西を代表する魅力的な合唱団に育てたい、と いうのが私の願いです。それに向けては「しっかりした積極的な組織を作るこ と」と「良い音楽を目指そうという雰囲気を作ること」が重要だと考えていま す。
:ふむふむ、ところで伊東さんは今年の「よどこん」では特にどのようなス ローガンをお持ちですか?
:最近、自分にも言い聞かせているんですが、やはり「根性」というのは一 番大事かな(笑)、と思っています。これは某男声合唱団のスローガンでもあ るわけですが、精神主義とは程遠い立場にいる私が提唱することに意味があり ます。(これはラグビーの平尾氏が様々な手を尽くしたあとで「最後は気持ち。 」と言うのと似たようなことであって、手を尽くす前からの根性などという言 葉は不要。)もちろん、知的なこと、効率的なことというのはシステムを考え ていく上では非常に重要だと思います。貴重な時間を割いて集まっているわけ ですから、出来るだけ無駄のないように行動し、個人に過剰な負担のかからな いようにしていく工夫は必要でしょう。しかし、最終的には「もっと上手くな ってやろう」「よどこんをもっと有名にしてやろう」「ごそっと新入団員をか っさらってこよう」というような「意欲」というか「積極性」というものが我 々には必要だと思うのです。「よっしゃ、ひと晩で暗譜したる!」とか「練習 中に絶対音取ってやる」というような意味での「気持ち」も非常に大事にした い態度であります。
:よーく分かります。私なんて、とか思わず積極的に団や音楽作りに関わっ て欲しいということとも結び付けられますよね。
:もちろん、人にはそれぞれ個性がありますし、積極性の形も気持ちの形も 様々です。関われる中で、能力に応じて積極的になっていただくという以上の ものではありません。ただし、後でも述べますが、レベルはともかく「音楽に 対して向きあう=自分を対峙させる」という姿勢は必要でしょう。
 
:では次の話題へ行きましょう。連盟のこと。伊東さんは昨年から合唱連盟 に関わってられますが、どうですか?
:はっきり言ってしんどいです。タイミングが重なって大阪の個人理事、京 都の団体理事に当たっていますので毎週一、二回は理事会か委員会があるとい う状況です。これまでは全く連盟とは関係したことがないし、私の師匠はどち らかというと連盟には協力的でないまま亡くなってしまいましたので、まった く後ろ盾や関係する人のいないまま連盟に釣り上げられたという感じで、昨年 は右も左も分からないまま常に緊張していました。
:手応えはどんなもんですか?どんなことをされているのですか?
:大阪の連盟に関して言うと、今は合唱祭をどうしていこうとか、21世紀 を迎えるにあたって府連はどうしていけば良いのかという話をしています。私 が独自に考えていることは、全国コンクールの一般の部の隔年開催への移行、 もしくはジャンル別開催(しかしこれは全日本連盟の所管)です。合唱界がコ ンクールを中心にピラミッド型に形成される時代ではなくなったことと、この 行事が毎年あるために有力な合唱団がバリエーションある活動に取り組みにく いという現象に関して大胆な発想を口にしています。(これはもちろん思いつ きの域を越えないのですが)他には「児童合唱へのてこ入れ」と「中高生の合 唱団の裾野開拓」を提唱しています。中高のコンクール上位校のレベルは本当 に高いのですが、一部の合唱団だけが突出している状況ではなく、たくさんの 中学生や高校生が合唱に親しんでいる状況を目指すべきではないかということ です。また、合唱連盟という組織は単独の合唱団では出来にくい行政交渉や地 域への宣伝、啓蒙活動に力を入れるべきだと思っています。例えば教育の現場 との関わりを持つことや音楽教育に対する提言、あるいは土日の学校開放(そ こで生徒や地域の人を対象にした楽しい催しや合唱シンポジウムや合唱講習会 等の開催)を面白い形で実現出来ないかということなどを考えているところで す。
もちろん連盟という組織は大きくなればなるほど「維持すること自体に」エネ ルギーがかかってしまい、新しいアイデアは反映させにくいという状況があり ます。
ただし、合唱人口の高齢化や先細りが言われている今こそ、合唱界の地平に関 わるようなことに立ち向かっていかないといけないと思っています。その為に は合唱連盟の外側から「連盟のやっていることは古い」という批判をするので はなく、自ら関わっていって勉強しながら、意見を反映させたり、試行錯誤し ていくことのほうが自分らしいのでは…と判断して関わる決意をした訳です。 ご存知のように本当は組織の中で活躍出来る人間ではないのですけどね。
:そらまた、大変そうですね。
:これこれ、そこでそういう言い方をしないように!(笑)。私はあくまで 「淀川混声を指揮している」という立場を含めて連盟理事として推薦されてい る訳で、連盟に対して個人会員という立場ではありません。もちろん利益代表 のようなことをするつもりはないですけれど、出来るだけ。
:すみません。そうでした。「伊東さん何かやってはるわー」ということで はなく、自分達も関わっているんだ…という意識をもって欲しいということで すね。
:そう、まず理解と支援を!。合唱祭なんかでもお手伝いをお願いするよう な場面もあるでしょうが、そのことよりも、「よどこん」の活動を通じて合唱 界に対して影響を与えてるんだという「気概」のようなものを持っていただけ ると嬉しいですね。
:なるほど。よーく分かりました。ぜひ、「よどこん」が関西の次世代を代 表するような合唱団になることをめざしましょう。可能性はありますからね。 がんばりましょうね。
 
:ちょっと流れから脱線しまして、前から少し聞いてみたかったのですが、 伊東さんにとって「よどこん」でも印象に残る演奏っていうのはどんなステー ジでした?。私のような新参者(まだ入団2年目に入ったばかり!)にとって は、過去の演奏はCDで聞くくらいしかないのですが。
:そうですね。一曲ずつ入魂してますので、全てに思い出がいっぱいです。 強いてあげれば例えば、第10回演奏会の「さとうきび畑」は大好きな曲でし たし思い出深いですね。また第5回まで溯って「Negro Spiritu als」、コンクールでは「季節へのまなざし」の「ひらく」は気持ち良い演 奏でしたけどね。コンクールでは結果には必ずしも結びついてませんが。もち ろん 全てのステージ全力で振ってますからね。
 
:でも「印象に残る」っているのは、演奏が上手く行ったということだけで はない要素があるということですか?
:そうですね。やはりコンクール的には「音程」や「アンサンブル」の正し さというものが非常に重要なファクターとなるのでしょうが、演奏っていうの は「なまもの」であり、全てに先立って「表現したいこと」というものがある と思うんです。
:何かを「表現出来たか」ということですね。
:まあ、そうですね。
:そのへんに関しては同志社グリーの指揮者の故福永陽一郎先生からも大き な影響を受けたのではないですか?
:もちろんそうですね。先生の存在は私の合唱への関わりの全てですからね。 例えば、最近の合唱講習会などを見ていると良い合唱の指揮者というのは「ア ンサンブルが向上するポイントを整理し分析すること」と、出来るだけ「的確 に」「具体的に」指示を出して、アンサンブルを纏めていくことが要求されて いるように思います。もちろん、指揮者の個性やカリスマ性にウェイトをかけ すぎていた時代からすると、ごく自然な流れと言えると思います。しかし、そ ういったトレーナーとしての役割はやはり、それだけでしかない訳で、それ以 前に「表現したいこと」と「表現すべき」ことが存在することを認めなくては いけません。
話が飛びますが、オーケストラのCDを購入するとき、そこで指揮をしている のが「デュトワ」なのか「バレンポイム」であるのかというのは重要な問題で す。評論の世界ではマーラーの管楽器に対して何を表現させ、チャイコフスキ ーの急流のような情緒の中に何を溢れさせるのかということで音楽咀嚼のキャ ッチボールがなされたりしますが、そのことが一般の愛好家にも音楽自体の奥 深さを感じさせることになっている訳です。もちろん、オーケストラというも の自体が「ロマン派音楽を代表する音楽表現形態」であることを見逃す訳には 行きませんし、オーケストラ指揮者というものの存在自体が「ロマン派的存在 」であることを忘れてはいけません。合唱を独立したジャンルとして扱うこと も必要でしょうし、対象になるカテゴリーがロマン派音楽に関わらず多岐に渡 れば渡るほど、合唱指揮者に与えられる役割や考え方にはバリエーションがあ る訳でしょうが。
:話がずいぶん壮大になってきましたが。
:そうですね、時間がないですね。、、ともかく「表現」がまずあって、そ れに対してアプローチしていくための技術があると言える。私にとって福永陽 一郎という存在自体が一つの「表現」であり「音楽」であったと言いたい訳で す。バトンテクニックで教わったことなど一つもありませんし、練習の仕方で 参考にしていることも一つもありませんが、技術レベルによらず人の人生を変 えてしまうくらいもの凄い演奏が福永陽一郎の指揮から生み出されてきたのを 目の前にした私としては、自分がそれにふさわしいかということは二の次とし て、「音楽とはかくあるべき」という理想や夢を胸に秘めた活動をしていきた い訳です。
:「人の人生を変えてしまう演奏」…巡り合ってみたいものです。
:いやいや、コンクールの場面なんかよりももっと身近なところにあるよう に思いますよ。
:「よどこん」では確かに何か「とてつもない演奏」が出来る可能性を感じ ることがありますよね。
:そうですね。「人の心を揺さぶる演奏」「情緒豊かな音楽」が「よどこん 」が最も大切にすべき要素であり、私の目指すべき音楽 の方向性です。
:去年の機関紙ハーモニーに掲載されていた演奏会評がありましたね。
:確かにあれは褒めすぎですが。
:でも「ナイーブな表現」は伊東さん音楽作りの特徴でもありますよね。去 年、私も「アンサンブルVine」という合唱団でニーステッドの曲を歌いま したが、その少し前にCCDで本山先生に指揮してもらったものと同じ曲なの に、伊東さんの音楽作りによって全く別の曲のように仕上がって行くのを体験 してびっくりしました。「音楽を表現する」ってことは何が正しいということ ではなく、そういうことなんですよね。
:個性的であることは芸術の世界においては決定的に重要な要素でしょう。 「エコー的」「神戸中央的」というような表現があったとするならば、「よど こん的」音楽作りをアピールしていきたいですよね。ブラームスも「よどこん 」が歌うとこうなる…、という具合にね。まだ、次元が違うか、、。
 
:それにしても伊東さんのお話とか指示の中には時々、理解するのに難しい 言葉が登場したり、豊かな教養や音楽と深い部分で勝負しようとしているな、 という態度が垣間見える訳ですが…、まずはよく本読んでますね。
:いーえ最近はさっぱりです。高校の時はクラシック音楽の番組を全てエア チェックで網羅しながら本ばっかり読んでました。新潮文庫の外国文学はほと んど読みました。内容はすっかり忘れましたが。大学の時は合唱が終わったら 映画ばかりみてました。女の子には目もくれませんでした。(一人笑)
:(あきれながら)先ほど割愛してくれ、、といった学生時代のギリシャの 女子高生の話はどうなんでしょうね。
:いやいや、悩み多き文学青年であった訳です。社会哲学の中からポストモ ダン芸術論を専攻してましたから、考えること自体は嫌いではないです。もち ろん、私の経験からも「頭でっかち」では絶対に合唱は出来ませんし、理屈だ けで合唱が良くなることは有り得ませんが、「表現しようとする対象に対して しっかり向き合うこと…」というのは自分では大切な態度だと思っています。 もちろんこれも曲によりますがね。
 
:好きな作品とかは?
:本ですか?これはいろんなとこで言ってますけどね。文学は邦訳でしか読 んでませんからね。むかしはドストエフスキーが好きでした。徐々にプルース トなどの耽美的なものに映ってきました。関係ないところではカポーティの短 編は好きです。芸術家としてはコクトーが一番の憧れです。日本のものは三島 (ここはあなたと趣味が合うはずですが…)。映画はタルコフスキー、小津、 アンゲロプロス…、一時期映画評論書いてましたからね、この辺の話は得意で す。私に言わすとジャンルは違っても「表現という」レベルでは皆同じ部分に 根差しているのであって、これは知識云々ではなく「表現」というものに対す るアプローチのバリエーションや好奇心の変遷、と言ったものです。偉大は芸 術家は全てジャンルを超えた「世界観」や「人間観」というものを持っていま す。福永陽一郎はよくヘッセやロマンロランについて語っていましたし、タル コフスキーはより良いバッハの理解者、大江健三郎はより良い武満の理解者で あるのもその同じことです。繰り返しますが「知識」が重要なのではありませ ん。「表現」に対する執着、あるいは深い部分での「愛」とか「信仰」とか「 人間存在」というものを考えた時、合唱という狭いカテゴリー以前の混沌とし たものや「表現」に対する興味がなくては本当ではないという意味での話です。 それに、我々はアマチュアの団体です。合唱の練習を通して、出会った曲や詩 を通して自分の心の中が豊かになったり、自分の中に新しい発見や世界の広が りを感じることが何より重要なのではないでしょうか。私も「よどこん」で様 々な曲や詩に出会い、自分の世界をどんどん広げてい行ければ…、と常に考え ています。そのことが人生の豊かさにも繋がっていくのではないでしょうか。
 
:なるほどね。私もいろいろ勉強したいと思います。伊東さん、もう時間が なくなってきました。最後に今年の伊東さんの動向を教えて下さい。
:一月には郡山で演奏会。3月16日には「葡萄の樹」で合唱講習会をしま す。皆さんの大好きな松下耕先生を招いてのものですので、どうぞきて下さい。 6月の2、3日が京都合唱祭(副実行委員長)、9、10日が大阪府合唱祭。 7月1日(日)は「同志社コールフリューゲル&こまくさ」のジョイントコン サートを指揮します。8月には「なにわコラリアーズ」が合唱シンポジウムの ためにシンガポールへ。関係ないのですが、9月には大学の業務でアメリカに 行くかもしれません(最大2、3週間)10月の6,7日には「コロフェスタ 神戸2001(音楽樹主催)なる催しがあり、これも実行委員に名を連ねてい ます。こう考えただけで、死にそうです。
:まー。お忙しい!どうりで、「伊東さん仕事もしてたんですか」と言われ る訳ですよね。
:正直言って、私の実力や行動力以上のことに巻き込まれてしまっている感 は否めません。自分の体力に自信がなく、病弱な子供を抱える身としてはなお さらです。しかし、仕事でも何でも一緒ですが、ちょうどいろんなことを任さ れ始めたり、壁を乗り越えなければならない時期に差し掛かっているようなも のだと思うのです。早いうちから自分の持ち場を決めてしまい外の世界から切 り離して活動を守っていくより、様々なチャンスには私自身が積極的にならな くてはいけないと思って身体に鞭打っています。逆に、そこで得た全ての経験 や成果を「よどこん」がより良い方向へ向かって道を切り開いていくことに結 び付けたいと考えています。何せ21世紀ですからね。人間チャレンジする必 要があります。
:そういう意味でも、伊東さん一人が引っ張るのではなく、一人一人が「よ どこん」音楽の作り手として、「よどこん」を盛り上げ ていけるようがん ばっていきたいですね。もちろん、伊東さんの活動は私達みんなで応援したい とも思っています。
:そうですか。最近のアルトを始め女声陣のがんばりには励まされます。
:男声は仕事が忙しくって大変ですが、ここぞという時にきっとがんばって くれるはず…。
:そうですね。私もがんばります。
:それではこのへんでインタビューは打ち切りますが、ここのお茶代伊東さ んのおごりですよね。
:酒代じゃなくて良かった。
おわり。

2001年1月某日。京都市内某喫茶店にて収録、編集。(矢口)



雨森文也先生の
(^_^) もうひとつのかお (ノ_.、)

 第13回定期演奏会で客演指揮をお願いする雨森文也先生は、皆さんもご存 知の通り、CANTUS ANIMAEや合唱団"まりもあ"の常任指揮者他、幅広く活動さ れている方です。ここでは、関西学生混声合唱連名(以下関混連)の定期演奏 会を機会に私が感じた雨森先生を、少し紹介させていただきます。
 普段の先生は、メガネがお似合いな律儀で物腰の優しい紳士。落ち着いた雰 囲気を漂わせながら、色々なお話をして下さいます。でも、一旦合唱団員の前 に立たれると、その細いお身体からは想像できない程エネルギッシュに音楽を 導き出して下さいます。まるで、空気ごと躍動させて演奏するかのように。歌 う側も、ぐいぐいとそんな雨森先生の世界に引き込まれ、あっという間に声も 曲も変わっていって、気がついた頃には1曲仕上がってしまうのです。
 私個人としては、よどこんの一団員として再び雨森先生の指揮で歌えること を大変嬉しく思っています。関混連の時とはまた違った雨森先生の世界に出逢 えるのではないか、と今からとても楽しみです。きっと、よどこんのパワーに 雨森先生は応えて下さることでしょう。収穫の多いステージになるよう私自身 もがんばりたいと思います。
 雨森先生は、演奏会を終えると胸がいっぱいで、あまり食事をとる気分には ならないそうです。関混連のレセプションで、感慨にふける雨森先生を横に、 私は胸がいっぱいどころかお腹が空っぽで(夕食を食べたのに!)がつがつ食 べてしまいました。この定期演奏会のレセプションでは、雨森先生の胸を満足 な気持ちでいっぱいにしたいですね。

(Sop.末松 ゆかり)


●REPORT●わたしのコンサート評 その1

■全日本合唱コンクール全国大会
於 札幌Kitaraホール(2000年11月26日)

 とても思い出に残る2泊3日でした。さすが北海道、お寿司もラーメンもお いしかったし.、大通り公園のホワイトイルミネーションはとてもきれいだっ たし、最終日に足をのばした小樽の雪景色も美しかったです。・・・・ってこ ういうことを書くコーナーじゃなかったんでしたっけ?えっ?全国大会の感想 ?あ、そうでした。すみません。

 さて本題に戻って、11月26日札幌Kitaraホールに、「全日本合唱コンク ール全国大会」Bグループの演奏を聴きに行ってまいりました。全体的な印象 としては、「上手な中でも、人を惹きつける演奏とそうでもない演奏があるん だなあ」というようなことを感じました。もちろんどの合唱団もとても上手で、 技術的には甲乙つけがたいのですが、私のつたない耳で聞いても、明らかな違 いがあります。それは、「訴えかけるものの強さ」や「伝えたい音楽」を持っ ているかどうか、かも知れないなどと生意気にもそんなことを考えました。

 では、それぞれの演奏の超(?)個人的な感想を少し述べたいと思います。

 まず、関西代表のおかあさんコーラス「栗東カレンジュラ」。 Bグループ1番という出演順ながら、堂々とした迫力ある歌声で、おかあさん コーラスの醍醐味をたっぷり聴かせてくれました。結果は銅賞でしたが、私は とても好印象を受けました。

 もう1つの関西代表「豊中混声合唱団」。 一柳彗作曲の「空に小鳥がいなくなった日」を自由曲に取り上げていましたが、 どちらかというと内向的な曲であり、演奏自体も、感情を表現しようとするあ まりか内側にこもってしまって、観客に伝わりにくかったのでは。いろんな意 味で(?)期待していただけに、少し残念に感じました。結果は銀賞でした。

 そして我らが指揮者率いる「なにわコラリアーズ」。 男声合唱とは思えぬやわらかい歌声をホールいっぱいに響かせて、とてもすて きな演奏でした。(ホールもとても良く響くホールでした)特に課題曲の「ふ るさと」は、曲のダイナミックスがかっこよく仕上がっていて、なにコラらし い演奏だったと思います。なにコラのみなさん、金賞&シード権獲得おめでと うございます。

 関西代表以外にも、印象に残る演奏はたくさんありました。

 藤井 宏樹先生指揮する「合唱団ゆうか」。 女声がまるみのある美しい声で、去年の全国大会の時から注目していたのです が、「混声合唱のためのアヴェマリア」(作曲 細川俊夫)という音がぶつか ってばかりの難曲を、美しい表情のある声で演奏し、圧倒されました。あまり の迫力に、私はただ息をのんでしまいました。全国1位のすばらしい演奏でし た。

 また、高田三郎作曲の「橋上の人」という地味な自由曲ながら、乱れのない 技術力の高さで、完璧な演奏だった「大久保混声合唱団」(辻正行先生指揮) や、シアターピース形式の難しい曲「花にもの思ふ」(作曲 藤家渓子)を健 闘していた村上謙一郎先生指揮する「岩国混声合唱団」、やたら難しい曲を難 しく歌う合唱団が多い中で、鈴木輝昭作曲の「宇宙の果物」を実にさわやかに 明るく演奏して好感が持てた「高知ファミリーコーラス」(川田博志壱先生指 揮)など、惹きつけられる演奏が数多くあり、とても充実した時間を持てまし た。

 全く私的なことなのですが、全国大会で大学時代の合唱団の同期(私は横浜 の大学出身です)に2人会いました。1人は「松下中央合唱団」(大阪)、も う1人は「大久保混声合唱団」(東京)で出演していました。私はただの付き 添いでしたが(笑)、昔一緒に歌った仲間が別々の場所で活躍している姿を見 るのは、とても嬉しいものがありました。それも全く縁のない札幌という地で 再会できるとは。できることなら、私も全国大会に出場して再会したかったで すが(欲張りすぎ?!)、それは当分先でしょうね。

   でも、それぞれの合唱団にはそれぞれの良さがあるんだなあということを強 く感じた1日でした。「なにコラ」にはなにコラの良さが、「よどこん」には よどこんの良さがあるんだろうなあと思いました。次の演奏会も、よどこんら しいあたたかい演奏をしたいと、「高知ファミリーコーラス」のさわやかな鈴 木輝昭を聴きながらそんなことを考えました。

 と、上手くまとめられたかなと思ったところで除夜の鐘。21世紀も楽しく 歌っていきましょう。・・・なんてのんきなことを言ってる場合じゃなくて、 原稿の締め切りをすぎてしまいました。急いで送らなくては。・・・・・大浦 さん、ごめんなさーい。以上、つたない全国大会遠征記(ただし付き添い)で した。

(Sop. 糠谷 陽子)   


●REPORT●わたしのコンサート評 その2

■同志社学生混声合唱団C.C.D.定期演奏会
於 長岡京記念文化会館(2000年12月2日)

学生サンの演奏会ってものを聴きに行くと、自分が卒業して間も無いような  図々しい錯覚に陥りますが(そんなお目出度いヤツは私だけ?)、自分の出身 団体の カワイイ後輩達の演奏会ともなれば、その錯覚たるや、「つい昨日ま で」現役で活動していた、くらいまでタイムスリップして戻ることになります。

さて今回、そんなシアワセ(?)な錯覚に陥った「同志社CCD」の定期演奏 会。 現在‘よどこん’でも大活躍のSop:矢口嬢をハジメ、Alto:宇野織衣チ ャン、Ten:生田クンがステージ上で活き活きと歌っておりましたが、そういう 係わりとは また別の次元で、この演奏会のことを振り返ってみたいと思いま す。

・・・とはいうものの、もう一ヶ月が過ぎましたからねぇ。
この時点で 今だ印象に残っていることの羅列になる点、どうぞ ご容赦くだ さい。

なんといっても、私の心を捉えたのは「第一ステージ」。
林光編曲の日本抒情歌曲集。学生指揮者が振った 唯一のステージでした。 そのムカシ、私が現役時代のCCDには「宗教曲はエエけど、日本語がヘタ」 という烙印が押されており、それは卒団後、外からCCDを聴いて「なるほど ・・」とナットクするくらい、 イケてない日本語が繰り出されておりました。

それがね、この指揮者クン(倉林君)は 一年前のステージでも日本語の曲を 持ってきていたし、半年前も「タケミツ」の『混声合唱のためのうた』を取り 上げていたことからも推し量れるように、日本語には相当思い入れがあったよ うで、それが 歌い手の方にも ちゃんと浸透しているように思えた。
エラそーな言い方を許してもらえれば、前期より 遥かに彼等の「身の丈に合 った」曲だったこともあり、彼等の手の内でナットクいくまで練られた上で、 ステージに乗せることが出来た、ってカンジで こちらに伝わってきました。

みんなで 大切に慈しんで歌い上げてきた そのステージの最後は、アルト・ ソロ付きでの『カチューシャ』。
これを聴き始めた途端、どっかのマエストロが 顔をトロけさせて聞き入って るやろなァーと、カンケーないことまで思い浮かびました(笑)が、みんなの ハーモニーに支えられて あったかい宇野チャンの声が ホール最後列にいた 私のところまでシッカリ且つ柔らかく届いてきました。
決して張り上げるわけではない、ほどよい「ゆとり」を持った声。聴いている こちらをリラックスさせるというのは なかなか出来るもんじゃない・・・い いソロでした。そして それを包むハーモニーも。

そんな 第一ステージをしみじみと聴き終わり、ロビーに出たところで 慌て てホールを後にする けーしサンに遭遇。私の思ったとーり、「夢見るデビル 」(←この‘コードネーム’を知ってるヒトは 相当の古株メンバーじゃ)顔 になっておりました。

いや、そんな どーでもいい報告はさておいて。
あとの2ステージは、(我等もお世話になった)本山センセ指揮による演奏で したが、今年はBach-yearに対抗し て?モーツァルトにされたのか、有名な『Ave verum corpus』を挟んで 最後 は『ミサ』。(・・・アレ?何調やったっけ!?)本山センセらしい カッチ リした音楽作りで、歌い手も みんな食らいついていってたと思う。

しかし、しかーーし。言わせてもらおう。あのソリストはいかん。外部の人間 が大きなお世話やと言われよーが、言わせてもらう。
ソリストが学生達の演奏をぶっ潰すなんざ言語道断。
毎年思うけど、イケてないソリストやわー(特に某パート)。
あの方々に現役ッ子達がボイストレーニングを受けているのかと思うと、その 部分だけは 気ィが重くなります
ま、歌うことと教えることは別かとも思うのですが、が!!

おっと、またハナシが逸れるところでした。とりあえず、1ステージの印象が 例年になく強かった為、最終ステージのモーツァルトに “より”モーツァル トのしなやかさ、みたいなものがあれば もうちょっと「曲として」印象に残 ったかもしれませんが、残念ながら、「ハーモニーする為の声が だんだん上 向きに よくなってきている」という印象が一番に残ったステージでした。 
でも それはそれで、OBとしては ウレシイんだけどね。

最後の最後、幕締めに CCDは いつも、『イエス君はいとうるわし』とい う讃美歌を混声合唱用に編曲した曲を歌います。これを「アカペラ」で歌うの ですが、今年は本山センセのお計らいか、本山センセのステージで伴奏を勤め たオーケストラに伴奏をつけてもらってました。 この曲、結構難しくて、ア カペラだと それぞれのパートの弱点(?)が出て、毎年 ナットクのいく演 奏というものを ナカナカ聴けないところ、今年はオケの響きに乗せて歌えた こともあり皆落ち着いて、とても心に響く『イエス・・・』でした。
これは、終演後に出会った、前年に卒団したばかりのOGが 心底 「あんな演奏を出来たあの子達が羨ましい・・」
と言ってた言葉に集約されているかもしれません。

そんな言葉を先輩に言わせた 今年の現役生達に拍手。
そんなことを言えるOB達は 本当にシアワセなんです。

そんなこんなをアレコレ思いながら、久々、シアワセな気分で家路についた  「同志社CCD定期演奏会」でした。
あ、結局、OG根性丸出しの感想文になっちゃいましたかね。これまた ご勘 弁!!

皆さん、学生の演奏であれ プロの演奏であれ、とにかく時間と事情の許す限 り、「ライブ」に足を運んでみましょう!!
いつもいつも「いい思い」をして帰れるわけではありませんが、心に何かが響 いてきたとき、その大きさと深さは「ライブ」でしか味わえません。
新しい年を迎え、今年もまた、心踊る「ライブ」演奏に巡り会えることを楽し みにしながら・・・いい一年にしましょうね!

(Alt. 山崎 智美)   


●REPORT●わたしのコンサート評 その3

■第96回同志社グリークラブ定期演奏会
於 京都コンサートホール大ホール(2000年12月16日)

私はハメられてしまった。

我らのマエストロ伊東氏(以下けいしくん)が、先日の練習の休憩時間に「同 グリ・・・どうやった?」と聞いてきた。そこに罠が待ち受けているとも知ら ず、私はいつになく優しいトーンで「めっちゃ、よかった(ハート)」すると けいしくんは左のほっぺだけで「ニッ」と笑って(これがかの有名な彼の「悪 魔の微笑」) 「ほな、原稿頼むわ・・・プラザの・・・」 ・・・中田も顔負けのキラーパス!

え″ーーーっ!?ちょっと待ちーな、という間もなく奴は疾風のように去って いた。

文章を書くのは実は嫌いではないけど、とはいうものの「さくらももこ」調の 脱力日記風エッセイか、一人よがったEメール位しか書いた事がない。 「演奏会として、どうだった?」なんて、私は評論家じゃないし、新聞記事は 書けないよぉ。わたしはただの歌姫・・・おっと失言、うたうおかーちゃん。 書くってわかってたら、もっと真剣に聴いていたのに(?)。 何言われても気休めにしかならないと知りながら、夫に「どないしょー・・・ 」と助け舟を出してみたところ、予想通り彼は一言「お前の言葉でええんちゃ う?」

「だれも おまえを たすけない〜♪」

前置きだけなら、1ページ余裕で書けるのにぃ・・・でも逃げるのは自分のポ リシーに反するので、とりあえず自分の言葉で綴ってみます。

12月半ばにしては拍子抜けする程寒さの緩んだこの日、京都で仕事だった夫 と共に、同グリの定演を聴きました。よどこん関係者も多数お見かけしました。 「20年ぶりの地元京都での開催」「20世紀の締めくくり」というフレーズ がパンフのそこここに躍ります。期待も膨らむってもんです。

私の大学グリーの楽しみのひとつは、学歌。いいねえ。男だねえ。背筋がスッ と伸びるような気がします。ちなみにマイベストはKGグリー「A song for Kwansei 」ですが(同志社関係者の皆様スイマセン・・・)”One Purpose, Doshisha,”・・・って難しいらしい。うん、確かに自分で口ずさんでみたら、 子音に泣かされそう。ツバが飛ぶ。

いや、私が書きたいのはこんな事じゃなくて(爆)

1ステ:「7つのスペイン民謡」

「土のにおい」のする音楽が昔から好きなんです。その時の気分で「私って前 世はロシア人?」とか「やっぱラテン系よね」なんてうそぶいてますが(ちな みに現在はアフリカンが気分かな)そんな意味では、もっともっと「やりすぎ 」ても良かったのでは。ホールのせいかも知れませんが、声が思ったより飛ん で来なかったのが残念です。せっかくフラメンコのカスタネットと合わせてる のだから、もっと「セッション感」があったら、最高でしたね(贅沢?)
「本当は私、アンダルシアのジプシーだったんだ!」と思った事でしょう。

2ステ:ブスト「悔悟説の4つの歌」

ここでけいしくん登場。「少し変わった色合いの和音、ぜひ聴いてみて」との 前振りがあったので、心には留めておきましたが・・・。

「私の声を聞いて下さい・・・」という冒頭の語り(無声音、っていうのかな )が印象的で、引きつけられました。よどこんでコンクール等でうたった 「O Magnum misterium・・・」の冒頭部分を思い出したのは私だけかな?

曲がクライマックスに達しようとしていた、その瞬間のけいしくんの指揮は、 恐らく私が今まで見た中で一番「熱かった」です。
(恐らく胸ポケット?)に入れてたピッチパイプが吹っ飛びました。 ちなみ にその箇所の歌詞は「神よ、何故私をお見捨てになったのですか?」
・・・なんとなく、わかりますよね。

俗っぽい表現ですが、どこか「垢抜けた」かといって「無機質じゃない」響き がブストはおしゃれですね。聴く側は勿論、うたい手も癒されるような感覚。
またよどこんでもうたいたいなぁ。

後日談・・・「よどこんでもピッチ飛ばしてよ」と冗談半分で言ってみたとこ ろ「暗譜やで!やっぱ暗譜でないと」とキッパリ断言されました。
どうやら私を本気にさせてしまったようね。ふふふ(宣戦布告・・・?)

3ステ:「柳河風俗詩」

まさにスタンダード(昭和29年作曲!)大正ロマン漂う名曲。 王道だから こそ、自分たちの色を出さないとね。
パンフに掲載されているこの曲の学生指揮者、白石君(実は結構好みなの)の 「演奏にあたって」という文章に、全てが凝縮されています。
気のせいかも知れないけど、考え方も指揮も、けいしくんの影響を少なからず 受けているように感じました。
タダタケのこれでもかの分厚いサウンド、かといってベタに感じなかったのは 「若さ」のなせる技でしょうか。爽やかでした。

4ステ:「感傷的な二つの奏鳴曲」

詩は金子光晴、曲は高嶋みどり。我々も大変お世話になった本山秀毅先生の指 揮・・・と聞いただけで、難しそう。
なので、ちょっと構えていたのですが、いやいやどうして。

特に「落下傘」。反戦歌、の一言では語れませぬ。
1番と2番が同時進行する、それも決して「きをてらった」ものではなく、時 間の流れ・・・作曲者は「時空間」と表現していますが・・・を感じます。
臨場感、緊迫感・・・ちょっと衝撃を受けました。

言葉がココロに突き刺さる。彼らの「今表現したいこと」が見える。聞こえる。
聞き手の胸にまで届く演奏こそが、我々「うたうたい」永遠のテーマ。
立派なだけじゃ、上手いだけじゃ足りないんだよね。
(決して下手だったと言っているのではないです。念の為)

そう言った意味では、全体を通してグリーメンの「意気込み」が感じられた、 後味の爽やかな演奏会だったと思います。(欲を言えば、アンコールちょっと 長かったかな・・・?)

札幌での全国コンクールの時にも感じたのですが、今まさに合唱界は変革期。 殻を破らんと懸命にもがくひよこ。同グリはもうすぐ100年。でもただ長い だけじゃ何の意味も無い。 合唱歴たった4年の私がエラそうに言わせてもら いますと、何も音楽に限った事ではありませんが「気持ちイイ事は、初めは痛 い」のです。オンステの半分が1年生だなんて、頼もしい限りじゃないですか !
「生みの苦しみ」を積み重ねて、目一杯吸収して、大きくなって、さらなる「 進化」をおかーちゃんは期待しています。頑張ってね。

p.s.
息子が大学生になったら、「同グリ〜なにコラ〜よどこん」に入れようと密か に企んでおります。
(以前「性転換するから私をなにコラに入れて」と頼み、鼻で笑われた) パートは勿論、クール&トリッキーなセカンドテナー!
同志社関係者の皆様ヨロシク!言っとくけどお金は無いヨ!
ちなみにその時、けいしくんは健在ならば(爆)49歳・・・想像つかへん。

私は・・・まだよどこんでうたってるよ、多分。

(Alt.内山 忍)


??!!ホントかな??!!
ぬかやゆきひろの
頭じゃなくてからだで歌う発声法7発目
<風土と発声法(1)

みなさま明けましておめでとうございます。

 年末に原稿を書き始めたんですが、テレビをつけると「あの人は今?」みた いな、 懐かしいタレントがでてきたり歌手がでてきたりするんですね。しかし毎年出 てくる人は何なんでしょう。1年に一回しかテレビの仕事がないんでしょうか ・・・ってな話しじゃなくて、そんな番組を見ていていつも減滅するのは懐か しいヒット曲を歌ってくれたタレントさんの声ですね。「あの時」は高音の伸 びもすばらしく魅力的な声だったのに・・・・いまじゃカスカスで艶が無い! これを年を経て味が出たなんて言う人それはわかってない!単に声が出なくな ったから歌いまわしを変えざるを得ないだけですよ。若い頃から無理な声の出 し方をしているってことに(個性だなんて言って)気づかないと年を経ると声 がいつのまに擦り減ってしまうんでしょうね。紅白なんかに毎年でてくる大御 所と言われる人たちも然りです。

 さて本題。この11月になにわコラリアーズの全日本コンクール出場の取材 で北海道の札幌にいっておりました。北海道は当然気温が低くて、到着時は2 ℃。ノドに飛び込んでくる空気のなんとつめたいこと。おまけに乾燥がひどい。
 「こんなところではノドを傷めてしまう!!」北海道の人たちのノドはいっ たいどうなってんだ・・・・ってな疑問というか、誰にも当たることのできな い怒りがふつふつと涌き上がってきたのでした。

 何か<ノドが乾燥しない秘訣>ってもんがあるのか?それとも乾燥していて も声を出す秘訣があるのか?といろいろ筆者の問題意識をくすぐってくるので す。
 そういえば以前イタリアに行った時も同じ感覚を覚えたな。筆者が行ってき たローマやミラノのことしかわからないんだけれど、膚がぱりぱりになりそう なくらいに乾燥してこまったのを思い出します。かといって俗説ではイタリア 人にはベラボウにいい声をした人が多いなんてききますが、これはどういうこ となんでしょう。
 乾燥すると声が出にくい、ノドを傷めやすい・・・と我々は経験的に知って いる。しかしもともと乾燥している地域の人々にどうしていい声がだせるのや ら。
 そこで筆者は他方、去年の合唱連盟の機関誌「ハーモニー」での先生方の対 談の中で言ってた話しを思い出さずにおれません。。
 「関東系と関西系の合唱団の声は明らかに違う」、つまり関東系では明るく 軽いという印象を受けるに対し関西系では深くて粘り気がある・・・とのこと でした。もちろん指導者の違いによるものもあるかもしれません。
 しかし、それよりも興味深いのは、気候や風土によって発声法=発声器官の 使い方が異なるのではという仮説です。もちろん言語の音声体系がことなって いれば当然発声法も異なってくることは考えられます、同じヨーロッパでもド イツ人とイタリア人が同じ歌を歌ったとしても聴覚的に全然違うことは容易に 予想できそうです。しかし、同じ言語をしゃべっている同じ人種が西と東では 歌声が違う・・・なんてことはこの仮説なしには説明できないのです。
 筆者はさらに突っ込んで言うと、民族や地域それぞれの声があり、湿度や気 温こそが声の出し方を決定する重大な要素だと思うのです。声帯の使い方は湿 度に左右され、息の使い方は温度に左右されるはずです。
 北海道にいて湿度が低いと「いつもの声が出せない」と嘆いている、日本国 の関西地方からきた我々は、《関西でしか通用しない》声の出し方しか出来て いないわけです。北の国で冷たい空気を吸ったら「ノドを傷めてしまう」と必 要以上に懸念してしまうのはしょうがないのですが。
 声帯の使い方、息の使い方の違いとは?それは4から5発目で書いたトピッ クスが多いにヒントになるのだ!!ええっ、そんなの読んじゃいないって?
 それじゃ長くなりますし、仮説の検証に福島まで取材に行って来ますのでこ の続き は次回。


●PLAY●
Nietzscheたいらちゃんの
<ビデオを観よう!>
第5回「ET」

 みなさま!とうとう21世紀です! よどこんのみなさまと世紀をまたぐこ とができて、とても嬉しいです。 感謝です。
 今年初のよどこんプラザ。 今世紀初のよどこんプラザ。
 この原稿を書いているのは・・・ そう。
 もう既に21世紀なのですねぇ。うっ。
 原稿遅れてごめんなさい。
 というわけで、新たな世紀もみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
 #この文体はソプラノ・うぐいすMJ嬢のをお借りしてみました。(似てる かな?)

   実はこれを私はビデオで観たわけではありません。そうです、お正月の深夜 のテレビ放映で観たのです。多分ご覧になった方もいらっしゃるのでは。ただ 私の場合、この名作を見るのがこのとき初めてだったのです。「うぶ」ですね え。なんだか感動モノだとは聞いていたのでとりあえず、チャンネルを合わせ ることにしたんですね。ほんとは返却の迫ったレンタルビデオもあったのです が。(そう、私は切羽つまっていたにもかかわらず、お正月にかこつけて怠け ていたのです。大浦さんゴメンナサイ)
 ストーリーは・・・
 地球にやって来た宇宙船が、地球人に発見されそうになったため大急ぎで飛 び立った。そのとき逃げ遅れた「それ」はひとり地球に置き去りにされてしま う。民家の物置に隠れた「それ」はその家の少年エリオットに発見される。エ リオットは兄妹と協力し、「それ」をかくまい、最後には故郷の星に帰そうと 努め、「それ」は無事自分の星に帰ってゆく。少年エリオットと、「それ」と しか表現のしようのない宇宙人ETとの友情を描いたスピルバーグの大ヒット 作です。ほんとに「それ」は、実際に見たら和田アキ子もhighーCを出す かもしれないというくらいグロテスクな風貌ですよね。それを2時間そこそこ で可愛い!と思ってしまうほどの存在に演出してしまうスピルバーグは、やは り凄いですね。
 さて、この映画で皆さんがもっとも感動されたのはどのシーンでしょうか。 エリオットとETが自転車で飛ぶ場面もさることながら、私はやはり最後の、 ETが宇宙船に乗って去っていくお別れの場面が最も印象に残ります。この場 面を見て涙しつつ、「これは竹取物語の現代版インターナショナル版かも」な どと思いながら「かぐや姫」のストーリーを思い出し、それを涙なくして読め なかった昔の私に思いを馳せ・・・涙の質が違うことに気づいてしまったので す。それは単に、アンハッピーエンドとハッピーエンドの違いということなの でしょうか、それとも私が年をとったというただそれだけのことなのでしょう か・・・それを認めたら元旦からまた涙せねばならないのでしょうか・・・。

   気を取りなおして。
 ETには、地球に残りたいという気持ちもあったでしょう。でもそれ以上に 帰りたい気持ちが強かったから帰ることにした。彼は帰りたいという意志によ って宇宙の故郷の星と交信して、連絡を待った。そして連絡が取れた喜びを全 身で表現し、それをエリオットにも伝えた。エリオットもそれを応援すべく、 NASAの手からETを守り、帰ることができるように助けた。ETは自分の 意志で帰ったし、エリオットはそれを全力で手助けした。本当はどちらも別れ たくなかったけれど、それぞれ違う生き方があることをわかっていたから、お 別れを決めることができたのです。これは、友情である以上に、まさに「愛」 ですね。日本語吹き替えでも、最後にエリオットはETに「愛しているよ」と 言っていましたよね。
 一方、「竹取物語」のラストはどうだったでしょうか。  かぐや姫昇天の日が近づいてきたとき、かぐや姫と帝は、既に3年におよぶ 文通で心を通わせ合っていた。かぐや姫は人間の心に近づきすぎてしまってい たのです。彼女は帰りたくないのに、帰らなければならなかった。帝は総力を 尽くして阻止しようとするが叶わず、彼女は形見を帝に残して月へ帰ってしま う。帝はその形見である不死の薬と手紙を、「天に近き」山(=富士山、これ が物語の「落ち」なんだそうです)で焼かせてしまいます。

   帰りたくて自らの意思で帰ったETと、帰らねばならなかったかぐや姫。
 ETの意思を尊重して、帰ることに助力したエリオットと、別れたくない故 にかぐや姫の月への帰還を阻止しようとした帝。
 この違いの根底にあるものは何でしょうか。「自分がしてほしいと思うこと を他人にもせよ」というキリスト教文化と、「もののあはれ」の美意識を持つ 日本文化との違いだともいえるでしょう。でもそれだけでしょうか。

   結論からいうと、この違いは「不可能性」と「非現実性」の違いであるよう に思われます。その相違は、時代の流れによる社会変化がもたらしたものでし ょう。時代の変遷によって日本人特有の美意識が変化したということかもしれ ないし、あるいは人類の意識が変化したということかもしれません。
 物語には、私たちのさまざまな夢や希望や憧れが含まれています。その部分 を私達は美しいと思う。それを再現する行為が「物語る」という作業であり、 私たちは物語り、物語られることによって、手に入らないものや叶うことがな い夢を確認し、時には浄化するのです。浄化には悲劇がうってつけだとアリス トテレスは言いました。竹取物語は悲劇です。そして悲劇とは、全く手も足も 及ばぬという「不可能性」なしに成立しません。
 20世紀になるまでの人々にとって「月へ帰るかぐや姫」は異次元の、全く ありえない存在でした。人々は、それを確かめることができないという理由で、 月に人が住んでいるかもしれないと信じることができたのです。人間が月に行 くことは決してできなかったし、月に住む人間と交流することは全く「不可能 」だったのです。それが20世紀になって、人類が月に降り立ったことによっ て「不可能」は不可能でなくなってしまった。かぐや姫に対する憧れとは、す なわち、月に行きたいけれども行くことが絶対的に不可能であった時代の人々 の、異世界への強い憧れです。月の世界にも人間はいるかもしれないという可 能性を秘めた時代の人々が、決して到達できない異世界の存在へ思いを馳せ、 そして現実の人間の力の有限性に思い至ることによって、人々の涙を誘うので す。昔の人々を、ついでに昔の私を涙せしめた竹取物語の美しさは、決して叶 わぬという「不可能性」であったように思います。もはや不可能が不可能では なくなってしまった今、「竹取物語」は私達にとって、以前ほどの力を持ち得 ないのかもしれません。話は飛びますが私は昔、かぐや姫が何故月に帰らねば ならないのかわからなくて悩んだものです。「それじゃああまりにもかわいそ うじゃないの!」そして、ただひたすらかぐや姫が可哀相で理不尽で、涙して いたのでした。(今やそんなけなげな気持ちはどこへやら。。)同様に私たち も、これが初めて物語られた平安時代の人々の気持ちでこの物語を体験するこ とはできないし、その人々と同じ共感を味わうことはできないのです。

   一方の「ET」はといえば、宇宙人がどこかに存在するという考えは、現代 の文化人ならまず受け容れられないことはない。そして実際にその宇宙人と出 会うエリオットという存在も、現代の私達にとって「非現実」ではあっても決 して「不可能」ではありません。 
 今私たちが生きている時代は、不可能を可能にする時代です。夢も描きつづ けていれば必ず実現すると人類が身をもって証明してきたその証として、今日 の繁栄があります。今の私たちにとって絶対的に不可能なことは、時間の操作 を除けば、「絶対的に不可能」ということ自体くらいしかありません。そんな 時代の人間が共感できるのは、「不可能性」に彩られた悲劇よりも、ポジティ ブな生き方や考え方を秘めた「人間劇」かもしれません。
 去ったETも残ったエリオットも、お互いの生きる道を見据えていて、自己 のアイデンティティをしっかりと持っています。お互いの存在をそのまま認め、 尊重し合ったからこそ、ETは自分の意志で宇宙へ帰ったし、エリオットも自 分の意志で地球に残ったのです。自分は自分であってそれ以外のなにものでも ありえないという「自己の固有性」も、20世紀の大きな発見のひとつである と思います。ただそれは、概念としては当たり前のことではあるけれども、実 際の個人個人にとってみれば大きな問題です。「自分が自分であってそれ以外 であり得ない」ということを実際に生きていく上でどう体験し獲得していけば よいのか。その方法を誰もが模索しながら生きているのもまた現代なのだと思 います。「ET」が涙を誘うのは、私たちのそういう部分に触れているからで はないでしょうか。
 ETは地球で生きてみてそれがどうしても不可能だとわかったし、エリオッ トもETを囲まうということで、自分がETとは異なる地球人であり、地球以 外の場所では生きられないことを悟る。しかし私たちはそう簡単に体験したり 悟ったりできません。自分がいるべきただひとつの場所を見つけることは私た ちにとってそう簡単ではありません。実際の私たちは選択肢に恵まれすぎてい て、ここにもそこにも居られるような気がし、これもあれもできる気がしてし まう。そして目の前にある大切なものに気づかなかったりするのです。そんな ことがちゃんとわかってしまったETもエリオットも、そういう意味で私たち にとって「非現実」なのです。ただそれは「竹取」のように絶対的不可能な非 現実でなく、誰にとっても求めさえすれば必ず可能になるものです。だから私 たちはエリオットの愛に勇気づけられるのです。愛がすべてを可能にする!と。

   国家であれ個人であれひとつの芸術表現であれ、それぞれに違う固有性を持 っているけれども、それをお互いに認め合い尊重するということ、それがグロ ーバルであるということの発見に次いで、21世紀の人類の知はどういう発見 をするのでしょうか。ただ、どの時代も変わらないのは、人はそれぞれ必ずど こかへ帰るということでしょう。人生の終わりにも人はきっと何処かへ帰るの でしょう。土かもしれないし、もっと別のところやものかもしれない。帰らね ばならないとき、辛いお別れの際にそれを後押しし応援してくれる人がいて、 そういう愛に恵まれているというのは、なんて素晴らしいんでしょう!物事の 終わりはハッピーエンドであるに越したことはありませんよね。


How do you do?
●特別編●

旅立ち

月日は、百代の過客にして行き交う年も又、旅人なり馬の口を捉えて老いを向 かうる者、日々旅にして旅を住処とす(松尾芭蕉旅立ちの句より)

中学校の時に有無を言わさず覚させられた松尾芭蕉旅立ちの句、この句の意味 は人生とは旅であると悟った芭蕉が静かにその決意を固め旅立とうとすると教 えらた記憶があります。 御歳60ほどの老人が自分の悟りに気付き逝去を目 前に何か自分の中の熱さに喜んでいるようにも思えました。(刹那の中に見つ けた希望、かなり耽美に言っているかな?) 何て勝手な解釈を相変わらず今 も昔もしています。
今年一年は心病み、傷付き、悲しいことが多かった年でした。大学4回生にも なると就職活動があり、そこでも痛い目を見ました。(例:こんにちは!と言 った瞬間、「君何しに来たの?」とかね。)彼女にもキッチリふられました。 (爆笑!:そらそうやわ、だって自分(政和)のことだけでも一杯一杯やねん もん。)夏には、父方の祖父も他界しました。

11月半ば友人が(近大学生)近大迄送ってくれと言ってきたので送りました。 (何て良い奴だ政和!いやいやちょっと待てよ?もしかして利用されてる?俺 はこいつのお父さんか!) いやいや、実は違う理由で東大阪にある小坂に行 きたかったのです。
9才になるまで僕は東大阪に住んでいました。小坂に行くと自分が通っていた 幼稚園(樟蔭幼稚園)や商店街がとても懐かしく思えました。あの幼い頃、樟 蔭大学の学生の母(ちなみにその時母は、幼稚園の教員免許を取るために樟蔭 幼稚園に研修生として来ていました。今思い出しても恥ずかしい。)と見たそ の町ははとんでもなく大きく華やかでした。 そこで知っている店を見ては「 おお!この店まだやってたのか!あぁあの店もう潰れてしまったのか・・・」 何てね。ある店でたこ焼きを買って帰りました。懐かしい味です。

久しく訪れた町に一喜一憂しながら、その町はじつは小さな町であることが2 2才で176cmの僕には少し悲しいことでもありました。しかし小学校の半ば より大阪市内に住み成長した僕はどうしてもその町を訪れないといけない理由 があったのです。

私の父は会社を経営しています。親父もかなり全国を修行をして回ったらしで す。しかしその過程でオイルショック(70年代後半)のあおりを受け祖父が 経営していた時、かなり傾いたらしいです。そんな頃僕は生まれました。そん な不景気の折りに子供が産まれると言うことは、もし今の僕だったら耐えきれ ないプレッシャーでしょう。父はそのプレッシャーと戦いながら母と兄と僕を 養い、市内に家を構えるまでに成長しました。そんな父を、今誇りに思います。 (親父ってすげぇ〜!) そんな何も知らなかった僕が、あたかも大きな遊園 地のように楽しんだ小さな町・・・・望郷の想いです。
そんな僕が大きな町大阪市内に住んで22才になり繁華街やゴルフ場を友人達 と楽しんでいます。
先程はミナミへ家族で出かけました。思い入れのあるところを巡礼しています。

 淀混は僕の大学生活4年間の中でも、本当に有意義な場所であります。
初めは、従姉に誘われ、訳も分からないまま練習に参加し練習の後、声もかれ、 腰の痛みを覚えながら、帰宅したものです。(今無いからって、手を抜いてい るわけじゃ無いけれど) 合唱と言うものは、ここまで体力を使うものとは、 思いませんでした。
その内に、テナーという仲間が出来、男声という仲間が出来、一人の熱い男と いう親友が出来、合唱の中での師匠も出来ました。

息巻いていた僕も、上手くいかなかった就職活動。ついに親父に頭を下げると きが来ました。(一応、一個内定取ったんだけれども辞退しました。)

親父「精一杯やったんか?」
政和「うん。でもあかんかった。」
親父「そうやろう今どこも人切ることしか考えてへんだか
   ら当たり前や。」
政和「そうみたいやな」
親父「それでうち入るんか?」
政和「うんそうさして・・・」
親父「そうか、ほんだら東京行って来い」
政和「えっ!?東京?東京のどこ?」
親父「牛久。」
政和「それって何区?」(確か東京は23区のはず・・
   そんな区あったかな?)
親父「茨城県牛久市」
政和「それって、東京ちゃうやん!」(俺達アホ親子か!
   いろんな意味で項垂れるわ!)
親父「行って来い。」
政和「・・・分かった。」
親父「いや〜これでうちも後継者問題なくなったな。良かった
   良かった。 後継者問題が経営者の最後の課題やからな。
   お前もその内、解る日が来るわ。」
またある日
政和「お父さんそう言えば一人暮らしの部屋どうするの?」
親父「あぁ、あれな初めは大阪からスタートや」
政和「えっ?」
親父「色々考えたら大阪からスタートやな」
政和「えっでも、もうその気になってたのに、えっほんだ
   ら淀混出来るの?」
親父「まぁしゃあないがな。でも合唱団は土日やろ?ほん
   だら難しいで」
政和「何で?」
親父「土日には仕事入るからなぁ、まぁ引っ越し屋さんみ
   たいなもんやからなぁ」
政和「・・・・」
残りわずかな自由な時間・・・・頑張ってもがいてあがいて出した結論です。 例え後悔したとしてもそれを受け入れる覚悟です。

家族、友人、恋人、仲間その中での愛情、友情、亀裂、葛藤、努力、和解、。 大学に入って「大人」にはならなかったけれど「男」にはなりました。 中途 半端なところを残しつつ社会に旅立とうと思います。

(Ten.内記 政和)    


しまだっちの
●How do you do?●

ベースの島田です。このコーナーはおろかプラザ初投稿という次第で、ちょっ とばかし緊張しております。どうかよろしゅう。

来年の演奏会、ピッツェッティのレクイエムをやることになりましたが、楽譜 を見ておわかりのとおり、男声が最大八声に分かれるんです。「凄いなぁ・・ ・」と感心してる暇はなく、サカリがついたように「男がほしい」(爆)と走 り回らなくてはならない状況です。
みなさん、男声増強に尽力しましょう。もち、小生も。

※本コーナーはプライバシー保護のため、ONLINE版には若干の制限を加えています。


Infomation

●鷲崎春の演奏会情報●
−心の財産をみつけよう−

アマチュア合唱のキーワードはいろいろありますね。そのひとつは「うたは心 」でしょう。21世紀、「心」がますます貴重になってくる、と多くの人達( 合唱と無縁の人達も含め)が予想しています。人間の持つ無限の可能性を信じ て、世界中にものすごくたくさんある愛すべき対象をしっかり見つめて、わた し達もバランス良くコンストラクティヴに合唱活動を進めていきましょう。世 間では当欄で案内しているものや、そのほかにも、たくさんの団体がいつも活 動しています。なお今回の当欄の、「是非是非ご注目願います!」の情報は1 月28日、よどこんは練習日ですが・・・「うたは心」で活躍している団体が あることを励みにして、頑張っていきましょう。

JANUARY・1月
14・日 西南学院グリークラブ 福岡・電気ホール
17・水 みやこフィルハーモニック ベートーヴェン「荘厳ミサ」
テナーソロが小貫岩夫さん
・・・よどこんメンバー数名歌います
京都コンサートホール大ホール
20・土 大阪大学男声合唱団 吹田市文化会館メイシアター大ホール
27・土 ヴォーカルアンサンブル・アウローラムジカーレ 高槻現代劇場中ホール
28・日 第6回「水と緑の全国音楽祭」
・・・なにわコラリアーズが出場します
福島県・郡山市民文化センター
28・日 関西学院グリークラブ ザ・シンフォニーホール
FEBRUARY・2月
 3・土 合唱団京都エコー・住友金属混声合唱団・女声合唱団Mai ジョイントコンサート いずみホール     
24・土 同志社グリークラブフェアウェルコンサート 同志社礼拝堂
25・日 神戸中央合唱団東京演奏会 東京・紀尾井ホール
25・日 森の宮ライゼコール いずみホール
26・月 神戸女学院大学コーラス部 西宮市民会館アミティホール
MARCH・3月
 1・木 学習院大学・甲南大学交歓合唱演奏会 伊丹アイフォニックホール
10・土 Microcosmos 東灘区民センターうはらホール
16・金 松下耕先生講習会(by合唱団葡萄の樹) 場所未定


 
●木寺洋介の合唱連盟便り●

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく御贔屓を願います。 年頭にふさわしく、今年の合唱連盟関係の行事予定をお知らせします。ただ、 全日本の関連の年間計画はまだ公開されていませんので、関西と大阪の関連行 事のみ掲載します。

平成13年合唱連盟関連行事予定

*第31回レディスコーラスフェスティバル
と き=3月10日(土).11日(日)
ところ=神戸国際会館

*大阪府合唱連盟平成13年度総会
と き=4月14日(土)
ところ=アピオ大阪301号室

*第24回全日本おかあさんコーラス関西支部大阪大会
と き=6月9日(土)
ところ=豊中市立市民会館大ホール

*第38回大阪府合唱祭
と き=6月9日(土)・10日(日)
ところ=豊中市立アクア文化ホール(9日・10日)
    豊中市立市民会館大ホール(10日のみ)

*第44回オール関西コーラスキャンプイン高野山
と き=8月4日(土)・5日(日)
ところ=和歌山県高野町公民館他

*大阪府合唱コンクール(中学校・高校の部)
と き=9月9日(日)
ところ=池田市民文化会館アゼリアホール

*第56回関西合唱コンクール
と き=9月23日(日.祝) 中学校・高等学校部門
ところ=伊丹市立文化会館いたみホール

と き=10月13日(土) 一般(おかあさん)部門
      14日(日) 一般部門
      21日(日) 大学・職場部門
ところ=池田市民文化会館アゼリアホール

*バッカスフェスタ(第3回関西男声合唱祭)
と き=11月4日(日)
ところ=伊丹市立文化会館いたみホール
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その他、連盟関係のお知らせ *「ハーモニー」購読募集

合唱専門誌として、全日本合唱連盟会報として、合唱情報をみなさまにお伝え します。1月・4月・7月・10月の各月10日が発行日です。A4版、約1 00ページに情報を満載しています。(全日本合唱連盟HPより)年間購読の案 内がそろそろ届く頃です。本年4月号からの1年分をまとめて申し込みますの で、個人での購読をご希望の方は、木寺まで口頭・TEL・FAX・E-mail等でご連 絡下さい。
TEL&FAX(0726)89−4146
なお、年間購読料は1冊680円×4冊=2,720円です(昨年度実績)。


 
●うずからのお知らせ● 練習予定表

いよいよ21世紀になりました。今年はよどこんにとっても雨森先生をお迎え してのはじめてのステージとなります。1月からはその雨森先生のステージの 曲の練習がはじまります。

1月14日(日)    淀川善隣館    13時〜17時
1月20日(土)    淀川善隣館    14時〜17時  (補練)
1月21日(日)    ミード社会館    13時〜17時
1月28日(日)    淀川善隣館    13時〜17時
2月11日(日)    ミード社会館    13時〜17時
2月17日(土)    淀川善隣館    13時〜17時  (補練)
   〃          〃     18時〜21時

2月25日(日)    ミード社会館    13時〜17時

予定 3月11日・17日・25日



●よどこんの各マネジャー紹介●
 よどこんの運営にいろいろ苦心していただいているマネジャーの役割の紹介 をさせ ていただきます。
 皆さん、当然の事ながら完全にボランティアですので、団員全員がマネジャ ーのつ もりでご協力をよろしくお願いします。

人事(S田中さん、B澁谷さん)
    ■団員名簿管理・発行       ■見学者・新入団員フォロー
    ■休団者フォロー(PLAZA送付など)
パートマネジャー(S:糠谷さん、A:小松さん、
         T:阪本さん・吉田さん、B:島田さん・澁谷さん)
    ■パート出欠確認         ■連絡網構築運営
    ■新入団員フォロー        ■メンバーアクティブ状況把握
    ■ドレス関連(女声)
会計(A鷲崎さん)
    ■予算立案・決算         ■団費・諸費徴収・立替諸費支払
    ■練習場代支払          ■中元・歳暮送付
外政(B木寺さん)
    ■連盟関係一般          ■合唱祭関連
    ■コンクール関連         ■ハーモニー広告申し込み
    ■各種写真申し込み窓口(担当適時)
内政(S山岸さん)
    ■練習場予約           ■練習計画配布
    ■合宿場予約           ■合宿案内・出欠確認
資料(S栗田さん、T内記さん)
    ■楽譜の発注           ■楽譜コピー・製本企画
    ■楽譜の保管・販売        ■練習テープ作成(企画・手配・配布)
広報(A大浦さん、S笠松さん)
    ■PLAZA発行         ■ホームページ運営
    ■広告など原稿作成
レクリエーション(S音田さん、S菊川さん他)
    ■クリスマスパーティ企画・運営  ■演奏会レセプション企画・運営
    ■その他レクレーション全般の企画・運営
演奏会(A北浦さん、B糠谷さん)
    ■演奏会全般(詳細別途)
団員増強    (B糠谷さん)
    ■増強計画の立案・運営

 マネジャーではありませんが、よどこん演奏関連CDの作成・販売(音源の 手配・入手を含む)を鐡見さんが担当していただいています。
 メーリングリストの管理人とコンクールの賞状・盾の管理は、私、B林が (実体があるものは、S林が)担当しています。
 練習場設営・原状復帰・戸締等確認は、団員の皆さん全員がご担当です。
 マネジャーの皆さんも当然ながら個別のご事情があり、継続が困難になられ る場合 もありますが、その折には、皆さんのご協力をいただくことになりますので、 よろし くお願いします。

(文責:B林)



●編集後記●

新しい年、新しい世紀になりました。
私が子供のころは、21世紀と言えば全てが自動化され、宇宙に自由に行ける ような、そんな情景がテレビ番組で描かれていました。21世紀の真ん中では そんな時代が来るのでしょうか?それとも資源を消費しすぎて冬の時代に?
さて、次号3月号は、3月の第1回練習日の発行、原稿締切はその2週間前で す。「こんな記事、書きたい。」と名乗りをあげて下さい。 宜しくお願いし ます。


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