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VOL.42/July,1999

INDEX
  1. ●イギリス民謡総復習
  2. Liner Notes by Itoh Keishi

  3. よどこんプラザ7月号
    演奏会直前号

    ラストスパート?
    スタートダッシュ??


       
    イギリス民謡総復習

    「イギリス民謡」について
    〜Burns作品を中心に〜

    Afton Water
    Burnsの最も有名な歌の一つでScots Musical Museum1)には1792年に初めて登場する。Afton川の中州にあったGeneral Stewart夫人のAfton荘から霊感を得て書かれ、詩は夫人に捧げられている。Currieが述べるところによると、Afton Waterの賞賛とStairのMrs. Stewartへの敬意を持って書かれ、彼女は確かに1791年に詩の写しを受け取っている。Gilbert Burns(Robertの弟)はMary Campbell(Burnsがこの詩を書いた1786年に求愛している)がヒロインであると主張し、Scott-Douglasもこれに同調している。HenleyとHendersonはさらにNew Cumnockに近いNithを通って流れるAfton川への賛辞としてこの歌が書かれたと述べている。詩に添えられたMrs. Dunlopへの手紙と1789年2月5日という日付から、これらの解釈が妥当なものであることは明らかである。この手紙でBurnsはAftonを「その川岸の景観は相当に魅力的で、自然で、ロマン的」であると述べている。 この曲の細波立つような旋律は歌詞の内容とよく一致している。

    Ca' the Yowes
    特色ある旋律を持つこの非常に愛らしい歌は1790年にScots Musical Museumに初めて登場した。旋律の最初の小節を含む写本はBritish Museumにある。Burnsは次のようにかいている。「この美しい歌は古いスコットランド風の旋律から成っている。にも関わらず私は旋律、詞共に出版されたものをいまだかつて見たことが無い。」Dickによると最後の二連はBurnsのもので、したがって最初の二連が最初のオリジナルの詩ということになる。1794年9月にThomsonへの手紙でBurnsは次のように書いている。「あなたが“Ca' the Yowes”を採用したことを私は喜んでいます。それはかつて私によって公にされたからです。7年ほど前、私はMr. Clunzieという背は低いが立派な聖職者と懇意にしていて彼は快くこれを歌ってくれました。そしてわたしの依頼で彼の歌唱からMr. Clarkeがそれを書き留めました。私がJohnstonに渡す時には私は幾つかの連を歌に加え、他を改めた。」詩中の「Cluden's woods」とは今日では荒廃したLincluden Abbey2)のある森のこと。原作の詩の作者はTibbie Paganと言われている。彼女は風変わりな老女で、無許可でウイスキーを売り、それに添えて幅広い物語を彼女の顧客に配布した。1805年に彼女の作品の収集本がGlasgowで出版されたが“Ca' the Yowes”は刊中にはなかった。

    Robert Burns ( 1759.1.25 - 1796.7.21 )
    Robert Burnsは勤勉な小作人の父William Burnsとその妻Agnes Brounの長男としてAyeshireのAllowayに生まれた。家の貧しさから最低限の教育しか受けることが出来なかったが父の奨励もあって英文学、聖書、仏語を独学、母からはScotlandの民謡、伝説、格言等の知識を得た。生涯を農民として送ったが青年期における過酷な農作業と栄養不足は彼の健康を害し、最後は心臓リューマチを患って逝去した。37年という短い生涯の間に多くの作品を残したが、特筆すべきはThe Scots Musical Museumに納められた約200曲の歌である。“Auld Lang Syne3)”、“Comin' Thro' the Rye4)”、“A Red, Red Rose”等今日最も親しまれている彼の作品がこの中に収められている。彼の詩は方言を用いて書かれており、大衆に愛踊された。Scotlandが誇る国民的詩人である。

    注釈
    1)The Scots Musical Museum1787〜1803年に発行された全6巻からなる出版物で、James Johnsonによってプロデュースされた。しかし、Burnsが実際上の編集者でかつ主要な寄稿者、Stephen Clarkが音楽面の編集者であった。通奏低音の上に旋律が印刷さていた。このMuseumはScottish Songコレクションの最も優れたものとして他に類を見ない。1962年にはPennsylvania州HatboroのFolklore Associatesによって再発行された。

    2)Lincluden Abbey(リンクラッデン大寺院)
    DemfriesshireのCluden川とNith川の合流点にある。Robert三世王の長女でArchibald(第4ダグラス伯爵およびトゥーヌ公爵)の妻であるMargaretが1424年のフランスのVerneuilの戦いでの夫の死後、このLincluden Abbeyに引きこもった。

    3)Auld Lang Syne
    日本では“蛍の光”で知られているが、この曲の旋律はScotland民謡。この曲の原詩もBurnsのものである。今回は紙面の都合で詳細は省略。

    4)Comin' Thro' the Rye
    「夕空晴れて秋風吹き…」と書けば旋律を思い浮かべてもらえるだろうか。“The Miller's Wedding”というstrathspey(4拍子のゆっくりしたScotlandの踊り)に歌詞付けされた曲でこれもBurnsの有名な歌の一つ。1796年にScots Musical Museumに登場する。‘The Merry Muses’という姉妹版も存在する。この曲の旋律は“Auld Lang Syne”や“O can ye labour lea”と同類のものである。

    おまけ
    Bushes and Briars
    1905年にEssexにいたVauhan Williamsが歌手のMr. Potipherに書き留めさせ、世に広められた歌。 Vauhan Williamsの民謡への興味を掻き立て、現代民謡の復興へと導いた曲と言われている。

    Swansea Town
    この曲の旋律は“The Holy Ground”(Irish version)や“Campbeltown”(Scottish version)としても知られている。これらは“Sweet lovely Nancy”という曲に由来し、この曲は少なくとも1680年にまで遡ることが出来る。“Swansea Town”の場合はEnglish versionである。Stan Hugillによると1870および80年代に銅鉱石の貿易に従事していたWalesの小型帆船で帰航の際によく歌われていた歌である。

    Ralph Vaughan Williams ( 1872 - 1958 )
    英国の作曲家。民謡に関しては800以上にのぼる数の曲を収集した。

    Gustav Theodore Holst ( 1874 - 1934 )
    英国の作曲家。交響組曲「惑星」等。V. Williams同様自国の民謡にも大変興味を持ち、代表作の一つ“The Second Suite in F for military band”には“Swansea Town”を含め多くの民謡の旋律が登場する。

    お詫びと訂正
    前号プラザの「Poulenc特集」の注釈、「フランス6人組」の説明で人物名の記述に誤り(不足)がございました。慎んでお詫び申し上げるとともに下記のように訂正させて頂きます。
    フランス6人組とは下記の6人をさす。Arthur Honegger(オネゲル)、Darius Milhaud(ミヨー)、Francis Poulenc、Georges Auric(オーリック)、Louis Durey(デュレ)、Germaine Tailleferre(タイユフェール)


    Taro Tetzmi


       

    Liner Notes by Itoh Keishi

    寝苦しかった夜を越えて(それでも不思議なことにいつのまにか寝ている…) 夏の朝のひとときののどかな時間、目をつぶりながらも夏の温気を感じる と、不意に時間をかいくぐって子供の頃を思い出したりします。遊びの誘い にくる近所の女の子の呼び声が玄関のほうから聞こえてくるような…そんな 気配を感じながら、起床までの微かな時間を過ごすのです。夏はどうしても 「なつかしいのなつ」みたいな気がして、つい気持ちが緩んでしまいます。

    さて、私にとっては色んな意味で「格闘」する対象と思い過ぎていた「合唱」 に対して、最近ようやくもっと別の接し方があるように思えてきました。それ は例えば、私にとっての幾つかの体験や、もう少し「合唱」そのものにのめり 込んでみようという心境の変化が、私に微かな成長を促しているのかもしれ ません。もちろん、いわゆる「合唱界」そのものに対する思いは、私の中でも せめぎ合い、「自分のしたいことだけをしていたい」という気持ちと、「外界 との関わりを維持しながら活動していく体験にこそにがみを含んだ成長の種 が含まれている」という気持ちが互いに足を引っ張り合ったり、時に止揚して いるということなのです(お分かりですか?)。 しかし、いずれにせよ「合 唱」にまつわる幾つかのイメージはおいおいまとめながら具現化していきた いと考えています。

    淀川混声合唱団はいよいよ第11回目の演奏会を迎えます。 組織や活動体と いうものは「これで良い」と思ったら急速にエネルギーを失っていくものであ ると思います。また、「硬直的」であることほど、「生きた活動」からほど 遠いものはありません。 我々はまた一つ大きなアクションを起こさなければ ならない時期に来ているのだと思います。 「合唱」とはやはり常に「出会 い」を求めるものなのではないでしょうか?「新しい仲間との出会い」「新 しい音楽との出会い」「懐かしい言葉や、忘れかけていた感性との出会い」 …。そして、さまざまな出会いを持つには、自分から「扉を開く」というアク ションを起こさねばならないでしょう。もちろん、その為には、少しの踏ん張 りが必要なのかもしれません。 第11回目の演奏会が、次の扉を開く一つの ステップになるよう努力しましょう。 メンバーが共通の意識を持って、「ひ と工夫」「少しの努力」「発想の転換」をキーワードに、みんなで作っている 「よどこん」に新しい時代が来るよう扉を開いてください。

    3回の演奏会をひとつの括りにしてきた活動の方向性をそのまま生かし、12 〜14回目の演奏会についてのイメージを今膨らませています。第11回目の 演奏会は練習の帰着点ではなく、新しいアクションの合図と位置づけましょ う。大いに「よどこんの音楽」をアピールし、「心を掴むうた声」を響かせ てみましょう。

    もうひとふんばり、しっかり努力をし、満足出来る演奏会にしましょう!

    P.S 今年の演奏会では、耳の肥えた客層が少し増えていると思いますよ。 こんな機会に、下を向いて歌っている場合ではありません。(はりきった爽や かな演奏が出来るよう、最後まで楽譜を見て自助努力をしてきて下さいね)

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