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VOL.40/April,1999

INDEX
  1. ●団長のひとりごと●よどこんの2005年ビジョン
  2. ●第11回演奏会曲目
  3. Liner Notes by Itoh Keishi その1
    ■今年もよろしくお願いします
  4. Liner Notes by Itoh Keishi その2
    ■ららら…赤い花束車に積んで
  5. ●わたしのコンサート評●「なにわコラリア−ズ」演奏会

  6. よどこんプラザ4月号
    なんとか復刊!!

    どうぞよろしく


      
    団長のひとりごと

    「よどこんの2005年ビジョン

    世の中には10年後を占うなんてことがよくある。私も仕事で、ある自治体の『2015年の長期ビジョン』なんて仕事を首長の再選選挙対策で担当したことがある。1年後の経済予測や今シーズンのプロ野球の順位予測などは結果がすぐ分かるのでドキドキものであるが、20年後を予測するなんてことは結構気が楽である。 私も会社に入って10年少しの間、新しく道路を作ったら1日に何台の車が通るかという交通量予測の業務に携わっていたが、これも数年後に湾岸線が開通したら? だったら緊張するのであるが、10年後や20年後の交通量を予測するのだから結構気が楽なのだ。もっとも、遠い将来だと思っていた明石海峡大橋や東京湾アクアラインなどが開通してしまったのだから、今となってはヒヤヒヤものだが・・・。

     よどこんの20年後を考えてもあまり現実味がないから、創団20年となる2005年を・・・。 (予想というより期待!?)

    登録団員数100名、オンステ85名、常時練習参加人数70名
    これが理想かどうか分からないが、現行の路線を継承するならば、このくらいで安定したいもの。でも、この人数では練習場が? 85名の内訳?S:30、A:25、T:15、B:15? もう既に達成しているパートもある・・・問題はベースか?

    パート別ボイトレ
    昨年あたりから、アルトのボイトレが欲しいとの希望も出てきたようであるが・・・人数が増えたら、それだけ財政的には楽になるということで、近い将来実現するかも。

    複数指揮者
    K氏一人体制も彼の年齢とともに辛くなってくる??正副体制なのか複数体制なのかは熟慮が必要であるが、将来的に4ステの演奏会では、K氏:X氏:客演で2:1:1か? それよりも、マネジメント体制充実のほうが喫緊の課題!

    団内結婚30組突破
    年に1〜2組が結婚するとして、このくらいにはなるか?現段階ではまだ誕生していない親子団員(誕生間近?KKさん!)も5組くらいはいても??我が家でも一人くらいはと思うのだが・・・。姉妹はあったが兄弟もまだ。

    コンクールで念願の金賞
    あまり期待もしていないが、もしかすると???

    十八番(おはこ)
    昔は『箱根八里』が天下一品?であったが、そろそろなにか欲しいところ。

    創団20年記念○○
    OB・OG合同の150名の記念演奏会?欧州演奏旅行?委嘱? 演奏会はもちろんシンフォニー!


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    淀川混声合唱団第11回演奏会

    平成11年7月17日(土)いずみホール
         開場:17:30 開演:18:00(座席引換:16:30より)
         入場料:¥1,500

    ●第1ステージ
      イングリッシュ・フォークソング −English Folk Songs−
          編曲V.Williams ほか
         AftongWater
         Bushes and Briars
         Faithful Johnny
         Ca' thegYowes
         Swansea Town
          指揮:伊東恵司

    ●第2ステージ
      「グロリア」
          曲:F.Poulenc
          客演指揮:本山秀毅◆ピアノ:長田育忠◆ソプラノ:太田裕子

    ●第3ステージ
      青いうた白いうた 〜新実徳英合唱作品集〜
          曲:新実徳英 詩:谷川雁
        海
        われもこう
        はたおりむし
        わらべが丘
        なぎさ道
        ぶどう摘み
        卒業
        北極星の子守歌
          指揮:伊東恵司


       

    Liner Notes by Itoh Keishi その1

    ■今年もよろしくお願いします

    「ウルトラマンレオ」の弟が「アストラ」であるということは私も知っていました。 しかし、家族で入ったウルトラマンショップのビデオに釘付けになった子供(3歳)が、怪獣と戦っている「レオ」を助けにやってきた「アストラ」を見ながら、黙ったままで涙を拭っている姿にびっくりしてしまいました。力を合わせての戦いにそこまで感情移入されてしまうとこちらも対処に困るというもんでしょう。(・・そもそも、ちょっと繊細すぎる反応に親としてはハラハラのしどうしですが・・)

    ・・それにしても久しぶりに家族で過ごしながら、(私は私で本屋のはしごをして20冊もの本を買い込んだりしてしまいました・・)「このまま本でも読みながら、誰にも文句を言われず一生つつがなく過ごしたい・・」とも考えてしまっていましたが、年明け早々に届いた本山先生からの賀状に「いずみホールでのプーランクがんばりましょう・・」と書いてあるのを見て、はっと目が覚めた次第であります。

    そうです、今年もあの「いずみホール」で演奏会が開けるのです。しかも本山先生という当代随一の指導者を客演に迎えて!!。ひょっとするとちょっとだけ「当たり前」のようになりかけているこの環境について、それがどんなに素晴らしいことなのかをもう一度考えてみるべきではないでしょうか。一生の中でそう何回でも有る訳ではない我々の「晴れ舞台」に向けて出来る限りの努力をしていくべきなのではないでしょうか? 私も、眠りに落ちかけていたベッドから私自身に鞭打って飛び起きてきたところです。「いずみホール」は取りあえず今回限り。 本山先生の招聘も当初の計画通り3年目になりますので、一つの区切りを付けられる何らかの「成果」の現れた演奏会にしたいと考えています。(ただし、12回演奏会からもプロフェッショナルの客演指揮者の招聘は念頭に置いて今後の計画を検討しております…)

    私が「よどこん」に入団したのは90年のことですからいよいよ10年目に突入するということになるのでしょう。クリスマスパーティでも述べさせてもらいましたが、かつて、「10年後にはこんなふうにしてやる!!」と思った記憶とは一致しない部分がかなり多く、振り返ってみても自分の力不足や判断力の甘さには落胆してしまいます。しかしながら、一人の映画(文学)青年?でしかなかった私が、福永陽一郎という指揮者の生命感そのものにのみ魅せられて合唱の道に進み、あろうことか一般合唱団の指揮者を10年も続けるというのは驚異的でもあります。合唱指揮者にも様々なタイプがあると思いますが、私は極めて情緒的な人間です。文章を書くという行為は極めて自己完結的な行為である訳ですが、自分の感性だけで合唱が出来るのではないことが、返って私にとってのやりがいに繋がっているのかもしれません。これまでのところ私は、自分自身の感受性の鏡を上手く利用出来るように、コンスタントに合理的に練習を進めていくという技術を手探りしてきた・・というのが実感です。指揮者は芸術に関わるということと、多人数組織の中で効率的にものごとを計画し進めていくという相反するような作業を纏めていかなくてはならない訳ですが、「よどこん」が様々なレベルのメンバーを要する団体であるということと、決して技術至高主義の「音遊び」で終わらせたくない・・という、考え様によればかなり「高次の目標」を持っているということが、これもまた乗り越えるのに困難な背反する要素を含んでいると言えるのかもしれません。

    しかしながら、私が「よどこん」の指揮者として魅力を感じるのは、技術的にはまだまだ目標に遠い隔たりがあっても、時々「よどこん」にしか出来ない情感ある演奏に巡り会うことが出来たことです。何度も繰り返すことになりますが、ただ単に「楽しく」とか「明るく」とか・・単純化された感情の発露ではなく、私にとってはもっと繊細な感情・・「切なさ」とか「痛み」とか「憧れ」とか「焦がれる気持ち」とか言葉にならない感情の数々を、歌の中にも込めながら演奏することが第一番目の目標です。 甘い葡萄にも種の渋味があるように、日当たりの具合で味も変わるように、微妙で繊細な「情感」ある演奏・・、「表情」ある生き生きとした演奏をしていきたいものです。 昨年の「島へ」や「さとうきび畑」のような演奏・・。その前にもあった「生き生きとした演奏の数々」を思い出し、エスプレッシーボ(絞り出すという意味から派生していることを考えてみて下さい)に満ちた演奏を目指しながら、 そこへ到達する為の技術的な課題の数々を克服していきましょう。

    今年もがんばっていきましょう。 今年もどうぞよろしくお願いします。

    (追記) 情感ある演奏は「よどこん」がするものではありません。「よどこん」メンバーの一人一人が行っていくものです。そのための具体的な課題として、「音取り」や「予習」「復習」など個人の出来る様々な努力をお願いしたいと思います。昨年のように、楽譜に噛り付いた状態の演奏があるというのは許されません。そこに関しては妥協することなく練習に取り組まなければ、「よどこん」の良さそのものが失われることにもつながりますので、ご了承下さい。(全て暗譜せよと言ってる訳ではありませんので、ご理解いただきますようお願いいたします)

    (追記2)1999年の7の月・・というのは子供の頃から刷り込まれていたせいか、不安と共に何となくそこで全てが終わってくれるという安心感があったものですが、それを越えるとなると、目の前にある壮大な時間の渦に目眩がしそうですね。「よどこんの未来」は目標を区切って一緒に開拓していきましょうね。

    (その3)またまた本を買い漁り、積ん読(どく)本?が増えてしまっています。 この10年間は思うように本が読めずフラストレーションが溜まっている状態です。 そろそろ体に鞭打って本を読むことが今年の目標です。

    (その4)幸いなことに次年度、私が学生課職員として提案した大学での映画上映企画(かなり強引?)が実現の運びになりそうな気配がします。担当が出来れば、やっぱり大学職員で良かったと実感出来る日々を過ごせそうですが・・。「仕事のため」という名目でビデオ・映画を観る回数を増やさねばと張り切っています。まずは、アレクサンドル・ソクーロフの大阪上映会を意地でも制覇しなければなりません。


       

    Liner Notes by Itoh Keishi その2

    ■ららら…赤い花束車に積んで

    先日の京都エコーの演奏会(2.13)の印象が胸に残ってしまいます。1ステージで演奏された日本抒情曲集では「懐かしいうた」をエコーらしく丁寧に歌っており、思わず嬉しくなってしまいました。 早速来年のよどこんの演奏会用(これで早くも1ステージは決まった!?)に、このステージの楽譜の入手を手配しました。

    ところで、新実徳英の「白いうた青いうた」ですが、練習時に何度も言っていることですが、(…ところが、あんまりよく覚えてもらっていないことが多いんです!!…)これは、平成の唱歌とも言えるような歴史的な偉業であると私は考えております。

    (…既にお渡ししている(これから渡す?)資料での「新実徳英」と「谷川雁」の対談を熟読していただけるようにお願いします。…これらの曲の作られ方や、「うた」「日本語」についての思いや意見が収録されておりますので、ぜひ参照してください。…)

    この曲集を見事なものにしているのは次の2つの要素です。 一つは「メロディー」の美しさ。 もう一つは「日本語」の美しさ。(何だ、それなら「全て」じゃないか…、と言われそうですが…)

    合唱団の指導をしてますと、てっとり早く体裁を整えるために「発声」「和声」という観点から音楽の形を作ることがあります。合唱は「響き」という要素が余りにも重要ですので、どうしてもそちらに重心が移ってしまうのでしょうか。 時々、グリークラブの後輩たちを見てますと、「すっごく立派な声」をしているのに、ソロでメロディーを歌わせると「どうしようもない…?」学生が多かったりします。 日本の合唱の指導やレパートリーの弊害なのかもしれませんが、和声や縦をそろえることが先に出来ても、一人でメロディーを表情豊かに歌うことは苦手…という場合がよく見受けられます。団員は知らず知らずのうちに合唱を構成する優秀なパーツとして合唱団の機能の中に埋め込まれてしまっているのでしょうか? 合唱の世界にこの曲が誕生したということは、そんな合唱団の硬直化し過ぎた「うた」への接し方を見直す契機にもなるのかもしれません。 我々は合唱曲である以前に「うた」を歌っているんだ!…この当たり前のような事実を改めて痛感する必要があるようにも思います。では、その「うた」とは何なんだ…!ということですが、 2人の芸術家の取り組みはこの根本的な命題に対して挑むものであったようにも思うのです。

    谷川雁氏は若い頃は、現代詩やイデオロギーのジャンルで活動していた人ですが、この曲の中では一転した「物語とメロディー」の世界の住人になっています。 現代詩は音楽に反発し、現代音楽は言葉の持つエロティックな呪縛から逃れていく方向性を志向していた時期があったように思います。もともと「言葉」と「うた」とは一卵性の双生児のようなものでした。それを敢えて引き離すことによって、互いに「オブジェ」としての輝きと、その「差異=ずれ」から生じる面白さを際立たせることに従来の概念からは得られない世界を開拓していたのだと言えると思います。(これは、「物語」を放棄しかけた「文学」や、哲学・アートのジャンル全般の傾向でしょう…) しかし、引き離された「言葉」と「音楽」は互いに恋情を募らせた挙げ句、この「白いうた青いうた」の生成の場では再び巡りあったとでも言うべきでしょうか。その巡り合い方は結構刺激的です。

    例えば、多田武彦氏は、もともと詩が内在していた音楽的な要素を見事に顕在化させることを得意としてきた訳ですが、これはある意味では北原白秋の詩に山田耕筰が曲を付けていった作業に近いものがあるのではないでしょうか? 「白いうた青いうた」の面白い点は、全ての作業が逆の手順を取っているということです。先に新実氏がメロディーを作り、そこに谷川氏が詩を付けて行く訳ですが、言葉がある程度のイントネーションによって音楽を内在させる場合とは違って、メロディーは従来よりも遥かに自由な選択肢を得ることになります。新実氏は古今東西の音楽の中に飛翔してメロディーを探り、磨き、作り上げました。 逆にそれに言葉を与えるのは大変難しい作業と予想されますが、谷川雁氏の驚くべきイマジネーションは、メロディーが予想だにしなかったような「爽やかに磨かれた言葉」を、まるで別の命を吹き込むようなやり方で歌詞として与える訳です。(その辺の作業経緯は資料を参考にしてください)

    メロディーを自由に磨き、その磨かれたメロディから触発されたイメージを、磨かれた言葉を選んで使いながら顕在化させていく。全くの裏返し作業(逆行倒置法)によって、これまでにない新しい歌曲の地平・領域が生まれるのではないかという試みは見事に功を奏したと言えるでしょう。そこには新しい、しかし根源的な「うた」の生成の現場を見ることが出来るのではないでしょうか? まさしく「…歌うことの生理に潜むエロスが旋律と言葉の織りなすベクトルにのって解放へと向かう…(新実氏の言葉)」瞬間なのではないかと思うのです。

    どこかできいたことのあるような親しみやすいメロディーは、口ずさむことによって忘れられないメロディーとして胸に残ります。研ぎ澄まされた言葉や、空間に絵を描いたような透明感漂う素敵な詩は、我々が歌いたくなる瞬間を探りながら感受性の鏡へと舞い下りてくるのでしょう。 「物語による癒しの構造」のように、「うた」は多義的で普遍的なイメージの中に我々の感性を取り込みながら、我々の心と呼吸をし合っているのではないでしょうか?

    我々が何かを感じる瞬間が「うた」を歌いたくなる瞬間かもしれません。「何かを伝えたい」瞬間はもちろん、「つぶやくことによって私自身を癒したくなるような」瞬間…それらもやはり「うた」の生成瞬間ではないかとも思うのです。我々が人生に「物語り」を必要とするのと同様、「うた」は我々の人生と深く関わりながら、感性の鏡と呼吸をし合っているものなのではないでしょうか…? 「白いうた青いうた」の作者たちは、この曲集の制作過程を通してそんな根源的な「うた」を希求し、戯れ、格闘していたように思います。

    …ところで、「歌詞を覚えようとしても、なかなか暗記できない…」という現象はないでしょうか? 谷川雁の詩は文法論・説話論的な意味での纏まりをぎりぎりのところで保っているために、歌詞の接続が凡庸なものとは程遠くなっているからなのかもしれません。言葉の意味が特定のものをイメージさせながらも限定されず、詩全体も特定のテーマを扱っているにも関わらずイデオロギーや固定観念に縛られない多面的な普遍性を維持しています。しかしまた、言葉それ自体が「痛みや切なさや匂い…」といった独自の輝きを持っているために、メロディーに寄り添いながらも従属されすぎることのない「理想的な関係」を保っているとも言える訳です。しかも、二人の対話の中に出てきているように、音の高さと歌の母音について、「うた」として歌われやすいような、とても望ましい状態での曲作りがなされているというのは、驚り、喜びでもあると言えるでしょう。



      


    わたしのコンサート評

    「なにわコラリア−ズ」演奏会
    於 宝塚ベガホール(2月28日)

    2月28日、天気も良いし、チケットもあるし、行ってみようかなあ…と、ふらふらと阪急にのり、初めて(!)「なにわコラリア−ズ」の演奏会にやってきました。 演奏会から1ヶ月以上たち、その時受けた細かい印象は大分薄れてしまいましたが、なんて叙情的に歌う合唱団なのだろうという思いは、今でも強く残っています。男声合唱の力強さと、人の声の持つ繊細さを合わせ持っているところが、何より素晴らしかったです。 第1ステ−ジのグスタフソンの作品は、ベガホ−ルの荘厳な雰囲気とぴったりで、心地よい響きにすっかり酔いしれてしまいました。演奏はもちろん素晴らしいのですが、ホ−ルもとても良いですね。「私もこのホ−ルで歌ってみたい」と強く思いました。きっと、かなわぬ夢でしょうが…・。 第2ステ−ジはイギリス民謡など比較的親しみやすい曲が多かったのですが、飽きさせない実力はさすがだと思いました。出演されている方々が楽しんで歌っている雰囲気がそのまま伝わってきて、すがすがしさを感じさせるステ−ジだったと思います。 そして第3ステ−ジ「三崎のうた」は、さすがに力強く、男声合唱の魅力あふれるステ−ジでした。「三崎のうた」は何度か聞きに行ったことがありますが、なにわコラリア−ズの「三崎のうた」は力強さの中にも、歌の情趣を大切にした曲作りで、とても気に入りました。 アンコ−ルになって「かみひこうき〜しばふでとばしたら〜」と、どこかで聞いたことのある曲(!)が始まったのには驚きました。練習中に伊東さんが「この歌は自分のことを歌っているのかと思ったんですよ」と言っていたのを思い出し、つい可笑しくなってしまいました。 アンコ−ルを2曲聞いた後も、席を立つのが惜しいほど、「もっと聞きたい」と思った演奏会だったと思います。すっかり「なにコラ」のファンになってしまった1日でした。出演された皆さん、お疲れさまでした。来年もすてきな演奏を届けて下さいね。
                 (Sop 鶴見 陽子)

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