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VOL.35/March,1998

LINER NOTES  by Itoh Keishi

さて、そろそろ春は馬車にのって・・。



・・めったな事では家で合唱の話題に触れることも合唱のCDやテープを流すことも有 り得ない私が(つまりいつもは移動途中の電車の中などで聞いている・・つまり趣味 においても早くから家庭内でのマイノリティーが決定している・・)必要に迫られて カセットデッキに「男声合唱」(byなにわコラリアーズ)のテープを入れて聞き出 したところ、隣の部屋で積み木をしていたはずのうちの子供が駆け出してくるや、カ セットデッキを叩き始めました。
「知らない音楽は、いや!・・知らない音楽はイヤ!」
「だめ、だめ、だめ・・!」
と叫びながら、コンセントを引き抜いてテープを止め、急いで自分のCDを持ってくる と、それをテープのデッキへ必死でねじ込もうとしました。
「父ちゃん・・めんめちこ!(またしてもこの言葉!)」
あげくには、
「やさしい音楽がいいの!」
と言って、私の取り出したテープを奪うと床に投げつけてしまいました。
確かに、選曲も悪かったし(Sandstrom:「Kyrie」)幼児には男声合唱のトーンは恐 かったのかもしれません。(それとも演奏が悪かったのか?)しかし、そこまでされ なくても・・と思いながらも私は、またもや毎日何回となく聞かされている「よいこ のうたベスト30」というCDをかけるはめになるのでした。(・・しかもCDが痛んで いるため、ほっておくと4曲目の「みかんの花咲く丘」を延々と繰り返し聞かされる ことになっている・・)
とは言え、子供の為に買ったCDのラインナップを見ても昭和の童謡には、団伊玖麿や 湯山昭、大中恩などなど・・作曲者に合唱界とも関わりの深いメンツが名を連ね、名 曲や素敵な歌が沢山生み出されていることはよくご存知のことでしょう。

さて、我々の歌う「唱歌の四季」の事ですが、いわゆる「唱歌」(つまり旧制小学校 の音楽の教科書に掲載されていた曲やそれに類するもの)にもまた、優れたもの、芸 術性の高いもの、美しいものなど、名曲が多いのは良く知られ、「日本人の心のふる さと」とか、「日本人のアイデンティティー」というような言われ方をされます。こ れらの曲はいわゆる古謡や民謡とは別の種類のもので、多くは明治期に西洋音楽が入 って来てから、西洋の音楽書法に乗っ取って作曲されたものばかりですが、単なる西 洋音楽の模倣ではなく、日本語のイントネーション(抑揚)と、日本人的感性(季節 感)、言葉の叙情性を大切にしながら作られたものだとも言えるでしょう。個人的に は昭和の曲はもちろんのこと、大正期のロマン溢れる切ない歌謡に心引かれるものが ありますが、「唱歌」の中には、いわゆる「童謡」というカテゴリーを意識して作ら れた音楽ではなく、世界に向けて日本が誇るべき芸術成果としての美しい歌の数々が 存在していると思います。
さて、われわれは、どんなことに気を付けながらこれらの音楽に接していけば良いの でしょうか?。(もちろん、その最大の魅力は「気安さ」であるはずなのですが、そ れはそれとして、一歩引き下がったところから観察してみます?)

合唱練習の基本的な要素を思い出してみましょう

 1.メロディー
 2.リズム
 3.ハーモニー

 4.言葉の処理

 5.歌詞の内容
 6.音楽の内容

(〜・・練習の時にも雑談してましたが、かつての我々には理性がありませんでした ので、上記の1,2,3に理性(リセイ)を加えて「メ・リ・ハ・リ」ある音楽を目 指そうと努力していました。今はどうでしょう?)

もちろん全て無視できない要素ではありますが、その中からポイントを「日本語の処 理」という点に絞って基本的で具体的な観点から見ていきましょう。

A. メロディー(抑揚)について

例えば、山田耕筰の「赤とんぼ」という歌曲(それこそ「唱歌」)を口ずさんでみる と

  「 夕やけこやけの 赤とんぼ おわれて見たのは いつの日か 」

言葉を普通に他人(子供)に語る時の抑揚に合わせてメロディーとフレーズが付けら れていることに気づかれるでしょう。(「あかとんぼ〜」の「あ」→「か」へ下がる イントネーションが不自然だという意見は関西人に多いようですが、この発音(抑揚 )はかつての東京の山の手の抑揚だと検証されています。)
「赤とんぼ」のこの例は、日本歌曲の芸術性について語られる時、必ずといって良い ほど引用される例ですが、「赤とんぼ」に頼らなくとも、歌い継がれている愛唱歌を 口ずさんで分解してみれば、多くの曲に日本語の自然な抑揚を大切にしながらメロデ ィーが付されていることにお気づきになるでしょう。考えてみれば、多くの人に覚え られ、愛唱されている以上は自然なことだと言えるでしょう。我々の歌う曲について も同じような観点から分析してみてください。(後述)

B. リズム(拍子の強・弱について)

先ほども述べましたが、これらの曲は日本民謡・古謡等とは一線を画し、れっきとし た西洋音楽の様式・書法にのっとって作曲されています。もちろん音階や言葉の使い 方から独特の情緒がかもしだされるのですが、拍子とメロディーの関係は今や我々の 体に染み込んでいる西洋音楽のリズム感と何ら変わりはありません。(・・雑談にな りますが、例えば、モーツァルトの「春への憧れ」と、唱歌の一つ「早春賦」を比べ てみましょう、途中でメロディーを入れ替えることすら可能です・・)
我々の歌う曲についても、リズムと拍子の面から楽譜を眺めてみてください。(後述 )

C. 言葉の処理について

我々は日本人だから、別に意識しなくとも言葉の処理がスムーズに出来ているかとい うと、必ずしもそうはなりません。もちろん、母音は発声と密接に関わっております し、どんな言語を歌うにしても、まず豊かな「響鳴」を身に付けることが不可欠でし ょう。それに、h、k、tなどの「子音」の処理も言うまでも無いことです。
しかし、我々が最も意識したいことは、日本語の歌を歌う時の「助詞」や「語尾」の 処理の仕方でしょう。

例えば、視覚的に見ても、次のサンプルのどちらが伝わり易いといえるでしょうか?


  Ex1)なのはなばたけにいりひうすれみわたすやまのはかすみふかし

  Ex2)菜の花畑に入日薄れ、見渡す山の端かすみ深し。

Ex 1)などは、まるでジョイスの散文を読んでるようですね。日本語には外国語のよ うな形でのアクセント記号がありませんが、我々が他人に話すとき、自然に言葉の頭 を強く発音し、語尾は弱めているはずです。また、名詞は強く、助詞(は・が・を・ に・の)のイントネーションは弱いはずです。相手に強く何かを伝えたい時にはなお さらでしょう。現在のN_K_-W0音楽の最前線がどうかは知りませんが、少なくとも日 本歌曲や唱歌と言われる曲はすべて、先述の通り日本語を大切にしながら音楽が作ら れています。特に名だたる詩人と組んで、優れた詩に作曲されたものが多いことから も、なおさら言葉の歌い方、歌詞の歌い方に気を付けてみたいものです。言葉の頭を はっきりと出し、助詞や語尾を柔らかく発音することでより言葉や言葉のニュアンス が伝えられるものです。

(・・言葉の意味や内容を考えながら、どんな場面でも(例えば「深く」は「ふかー く」、「遠い」は「とおーい」という感じ)相手に伝わりやすいということを心がけ て歌ってみましょう。自然と感情が篭ってくるはずですし、詩の持つイメージに近づ くはずです。・・)

・・これらA.B.C.の要素は、それぞれが単独に存在するような問題ではありませ ん。
一つの美しいフレーズを3つの観点から構造分析する事が出来るというだけのことで す。「構造」とか「分析」というと、何だか難しそうに聞こえ、「そんな事は関係な い・・、要は想像力や!」と言いたい気持ちも存在しますが、例えばそれは「モディ リアーニの絵がどうしてせつないのか・・?」という事を考えるのに似ているかもし れません。
「心打たれる・・」「心に染みる・・」といった情緒的な世界から一歩離れると、分 析には大きく分けて二つの方法があると言えるでしょう。
例えば、モディリアーニの絵の背景を理解するということ。彼が、どんな生涯を送っ たかとか、どんな女性と付き合っていたかとか、その頃のパリの風俗や生活はどんな ものだったかとか、絵画の風潮はどうであったとか・・さまざまな文脈の中から一つ の絵画捉え直していくという手法・・。そしてもう一つは、そういったことを一切無 視して、ひたすらに絵画そのものを見つめる手法です。そこには、「何となくせつな い」という情緒をを構成したいくつかの必然的な要素が炙り出されてきます。例えば 、絵画の「構図」「色彩の重ね方」「目の大きさ」「視線」「しぐさ」・・それらが 、もしそうでなかった場合とどのような差異を生み出すのか、・・というようなこと です。
(・・と書いてみてまた、ソシュールなどを引用したくなってきたので、慌てて軌道 修正することになる・・)
ここではそんな重大な解剖を必要としているわけではありませんし、分析が出来たか ら「良い音楽」につながるというものでもありません。しかしながら「何となく上手 く歌えない」と思っている人が、少しでもヒントをつかめるかもしれない・・という 望みにかけて、一度上記の基本的な3つの要素に従って、下記のようにフレーズを整 理してみることにします。(ごく簡単に)

「唱歌の四季」3曲目{紅葉}のフレーズです。

( 秋の夕日に、照る山 紅葉。 濃いも薄いも、数ある中に )

● メロディー(抑揚)
 この8小節間の抑揚を考えてみましょう。

音程は感情を表すと考えてみれば、音楽は自然に「上昇音階」では昂揚感を、「下降 音階」では落ち着いた感じを内包しているとも言えるのではないでしょうか?(もち ろん、もっと違うニュアンスもあるでしょうが・・)
ちなみに、次の歌詞「秋を彩る・・」からは音階が高くなるのでもっと曲中もっとも 輝きある声を使いたいところですね。
私が、練習中に「○小節間で物語を作って・・!」という時、そのフレーズの抑揚に 歌い手の情緒を絡めて欲しいということでもあります。抑揚に従順になることによっ て、詩の中の<起・承・転・結>あるいは強調したいメッセージ、言葉・・に敏感に なって欲しいということです。
短絡的ではありますが、最初4小節を抑揚の観点からだけでみると、一番輝く部分は 音程が一番上がっている時に歌い出す{秋・・それから、山・・紅葉=タイトル}と なる訳です。
(もっとも、この抑揚をコード進行と絡めて感じ取っても良いと思いますが・・)


●リズム(拍子)

4拍子の構造は小学生でも知ってますが

    1  2  3  4

  < 強 ・弱・中強・弱 >です。

(ついでにいうと4拍目の「弱」は最も弱く、ほんの少しゆったりと感じた方が良い かもしれません)

それを機械的に上記のフレーズの歌詞に当てはめていくと下記のようになります。
1・2・3・4 1・2・3・4 1・2・3・4 1・2・3・4 
あーきのゆーう ひー  にー  てーるーやーま もーみーじ
強 弱 中強 弱 強 弱 中強 弱 強 弱 中強 弱 強 弱 中強 弱 

昨年、本山先生に教えていただいた最大の事ととは、一つに「母音の音色」もう一つ は「フレーズでなくリズムを歌うこと」ではなかったでしょうか?
特に後者は、日本人の特性なのか、合唱の独自性なのか、余り意識されにくい要素で あると教えていただきました。
日本語のゆるやかなフレーズだからといってそのことが当てはまらない訳はありませ ん。程度の問題こそあれ、ついつい横に歌ってしまいがちなフレーズをリズムの点か ら捉え直してみることも必要でしょう。


● 言葉の処理

先のフレーズも同様にひらがな表記すると

(あきのゆうひにてるやまもみじこいもうすいもかずあるなかに) となります
やはりよく分かりませんが
漢字や句読点を入れて「名詞」「助詞」をはっきりさせてみましょう

(秋の夕日に、照る山 紅葉。 濃いも薄いも、数ある中に)

言葉の頭をはっきりと、語尾を柔らかく
名詞をはっきりと、助詞をそっと発音するとすると

 あ き の ゆ う ひ に 、て る や ま も み じ

 こ い も う す い も か ず あ る な か に

というような感じになるでしょう。
作曲家の多田武彦氏は、合唱団の練習の時に、団員に楽譜の歌詞のところに数値を書 かせて練習をすることで有名です。(10・9・8・9・9・8・7・10・・)と いうふうな数値は、言葉に促した音の強さを表すのです。このように歌わせたい、と いう思いを単に数値化することだけで練習が煮詰まるとは思えませんが、言葉をより よく伝えたいという思いの一つの極端な形式としてはうなづけます。

もちろん、先述してきた「メロディーの抑揚」「強・弱のリズムの感じ方」と、この 「言葉の文法上の処理」の問題が三位一体・・いやいや渾然となってフレーズを作っ ているのであって、単なる三層の構造になっている訳ではありません。それに、単に 構造を分解するだけのことと、「どのように歌うか?」という問題はぴったり一致す るものではありませんし、受験の解答のような模範解答が用意されている訳でもあり ません。

しかししかし、得てして、時として・・音程が上がるからと言って

( あーきのゆうーひーに、 てーるうやーまーもーみーじ )

というような、やや乱暴な歌い方になったりしませんでしょうか?
メロディーの上昇・下降の醸し出す雰囲気と、リズムの感じ方・言葉の発し方(強さ ・弱さ)とで上手く折り合いを付けていくことを工夫していかなければなりませんし 、逆にフレーズをよく分解してみると、言葉が上手くリズムに乗って配置されていた り、助詞が弱拍に来たり、目立たない音程に位地づいていることが多いのにもお気づ きになるでしょう。
(・・ちなみに上記のう も ま も4拍目の弱拍であり、語頭でもありません・・
極端に弱めて歌う必要もありませんが、言葉の流れを丁寧に・・)

このような分解は、おそらく「構造分析」と名の付くほどたいそうなものではなく、 むしろよく理解されている方にはおせっかいに過ぎるものであったかもしれません。 結局は頭で歌う訳ではないのですから、理屈や理解がどうあれどんな歌い方が出来る かが重要です。
楽譜を見てなるほどと思えたら、上手な人のCDでも聞いて(この際、鮫島有美子でも 充分勉強になります)真似して上手くなろうと思って下さい。

◎ 美しいメロディーを歌うのですから、丁寧な発声を用いましょう。
◎ 日本語を歌うのですから「分かりやすく」「伝わりやすく」歌う工夫をしてみま しょう。

そういうことの具体的な手法を、練習の中で・・、もしくは、皆さんなりに掴んでい く努力をして下さい。その為に、もう一度上記の3要素から楽譜を見つめ直していた だくことをお勧めいたします。

さて、「唱歌の四季」と何気なく名付けられてますが、タイトルの(四季)にも注意 してみましょう。
俳句の例を挙げるまでもなく、日本人の感覚にとって切っても切り離せないものの一 つとして「四季」が挙げられると思います。日本の抒情歌・唱歌の多くが「季節感」 を漲らせているということは、我々の生活や日常に感じる感覚の中に「季節」に対し て知らず知らずのうちにとても敏感になっている部分が数多くあるからだということ でしょう。
たとえば「おぼろ月夜」のタイトル自体、言葉としても美しく、また豊かな風景や時 間、イメージを掻き立ててくれますが、我々が季節を感じる時、決して目や耳だけで 感じているのではないことを思い出したいものです。
私の兄は、幼稚園に入った頃、梅雨明けの庭に出ると大きな声で「夏の匂いがする・ ・」と言ったので、詩歌に思い入れの深い父親を「天才詩人になるのではないか!」 と大喜びさせたようですが、今や慎ましい一教員にとどまっております。つまり、「 季節」を五感で感じることは考えてみれば、我々が知らず知らずにしていることの一 つです。飛びぬけた感性も才能も必要ではありません。ただ、「唱歌の四季」で歌う いくつかの歌詞の中には、そういった様々な感覚を美しい日本語の配列に封じ込めた くだりがいくつもあります。
ひょっとすると、もっともっと季節を身近に感じられた昔には、頻繁に使用されたり 、それほど珍しくない語句があるのかもしれませんが、濡れた小石ように輝いて、青 葉のように香り立つ言葉の数々を、豊かなイメージの中に感じながら歌ってみたいも のです。

「夕月かかりて・・匂いあわし・・」
ぼんやりとして何とも言えない、美しい情景なのでしょう?・・

いずみホールのお客様にそう思っていただけるような演奏をしたいものですね。



いとうけいし    


 

以上

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